バクチ
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この中でも、古くからカジノを中心として栄えたラスベガス[40]、2002年に外国資本にカジノ経営が開放された[41]後に中国大陸の経済成長に伴って急成長し、2013年にはラスベガスの7倍の売り上げを誇るようになったマカオ、2010年のカジノ開設後急速に成長して2013年にはラスベガスと同程度の売り上げとなったシンガポールの3都市が特に規模としては大きい[40]。このほかにも多くの国にカジノは存在し、約140カ国でカジノは合法化されている[42]

合法化建設都市場所地図
1931年[43]1931年[43]ラスベガス アメリカ合衆国ネバダ州クラーク郡北緯36度11分39秒 西経115度13分19秒
1933年カンピョーネ・ディターリア イタリアロンバルディア州コモ県北緯45度58分15秒 東経8度58分15秒
1976年[43]1978年[43]アトランティックシティ アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティック郡北緯39度22分38秒 西経74度27分04秒
1847年[41]マカオ 中国 マカオ北緯22度10分00秒 東経113度33分00秒
2005年[38]2010年[44]シンガポール シンガポール
モンテカルロ モナコ北緯43度44分23秒 東経7度25分38秒
1962年[45]1968年[45]ウォーカーヒル 韓国ソウル特別市広津区北緯37度33分18.8秒 東経127度6分39.2秒

ギャンブル禁止の経済効果

オーストラリアでは、市中のパブクラブスロットマシンが置かれている。店に出入りできる年齢であれば気軽にギャンブルができる環境にあったが、2020年3月23日には、新型コロナウイルスの感染拡大によりパブやクラブが一時閉鎖され、ギャンブルができる環境が失われた。ギャンブル問題を啓発する団体は、閉鎖された後一か月間に少なくとも10億豪ドル(約690億円)がスロットマシンにつぎ込まれずに済んだこと、それら金額が食卓の食べ物、医療費や光熱費、家賃、住宅ローンの支払いに充てられることが可能になったこと、ギャンブル依存症なども緩和されたことなどの効果を指摘した[46]
宗教界での賭博に関する見解

ギャンブルには働かずに金持ちになれる(不労所得)という誘惑があり、世界宗教を始めとして多くの宗教で戒められている[18]
賭博とイスラム教

イスラム教成立以前の中東では矢を使った籤(賭矢、マイスィル)でラクダの肉を賭けるギャンブルが盛んに行われていた[47][48]。このほかに競馬やポロが広場で行われ、社交の場としても機能していたとされる[48]千夜一夜物語には、王達による金銭や奴隷をかけたシャトランジの勝負が描かれている。カードゲームは喫茶店などで行われていた[48]

イスラム教クルアーン雌牛の章において、マイスィルは人の利益となる面もあるが悪影響の方が大きいという記述がある[48]。当時は気前の良さを競うため法外な額(に相当する分量)が賭けられることもあったとされ、ムハンマドはこれを諌めたという説もある[48]。また食卓の章にも、マイスィル、偶像、占い矢は悪魔の業であるという記述がある。

イスラム教が広まった後も賭博の是非についての記述があることから、違法な賭博は行われていたと推察されている[48]

現代のイスラム教国では国内での賭博は禁止されているが金銭を賭けない場合は見逃されており、一部の国や地域では競馬や競駝が純粋な競技として行われている。勝ち馬の予想を当てた場合は、払戻金ではなく、賞品や商品の引換券[注釈 3]がもらえる。これは「賭博ではない」と言い逃れができるようにするための主催者の知恵である。なお、世俗化が進んだ地域ではギャンブルも行われている。
その他のキリスト教の宗派

ギャンブルに反対する他の教会には、エホバの証人末日聖徒イエス・キリスト教会[49]イグレシア・ニ・クリスト[50]、およびメンバーズ・チャーチ・オブ・ゴッド・インターナショナルが含まれる。
歴史

賭博の起源としては、吉凶を偶然に託す占い[51]、正邪の判断を神に託す裁判神判[52]、そして神に捧げるための競技[53]の3つが源流であると考えられている。賭博は自らの所有物や財産を賭して勝負をし、勝てば利益を得て相手の賭けたものを自らの私有物とすることによって成立するため、個々人が私有財産を所持するようになり、原初的な私有財産制が成立してはじめて開始されたと考えられている[54]

日本では、689年には持統天皇によって雙六(盤双六)賭博禁止令が出されたとの記述が日本書紀に存在し[55]、以後頻繁に時の政権によって賭博禁止令は出されていた。『古事記』にも、秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)が、春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)に伊豆志八前大神(兵庫県豊岡市出石)の娘の伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)との結婚の成否で賭けを申込み、兄弟の母神が賭けを申し出た秋山命を懲らしめる話がある。賭博禁止は明治政府もこれを継続した。1884年(明治17年)1月4日、賭博犯処分規則が定められた(太政官布告)。第二次世界大戦後には相次いで公営ギャンブルが認可され、隆盛を迎えた。一方でこれまで私的に行われていた伝統的な賭博は衰退し、私的賭博でもパチンコ麻雀といった新たなゲームが主流となった[56]
その他

賭博、とくにサイコロ賭博の勝敗に関する考察は、どのような目がどのくらいの率で出てくるか、すなわち確率という考え方につながっていった。16世紀半ばにはイタリアのジェロラモ・カルダーノがサイコロの出目に関して初歩的な確率の計算を行い、17世紀にはサイコロ賭博に関する相談を受けたブレーズ・パスカルピエール・ド・フェルマーと往復書簡を交わし、この中で理論としての確率論が誕生した[57]


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