バカリズム
本名升野英知(ますの ひでとも)
ニックネームバカリ
ヒデ
升野さん
生年月日 (1975-11-28) 1975年11月28日(48歳)[1]
出身地福岡県田川市
血液型A型
身長165 cm
言語日本語
方言共通語 筑豊弁
最終学歴日本映画学校
出身日本映画学校俳優科
コンビ名バカリズム(現在はピン)
相方松下敏宏(1995年6月 - 2005年11月30日)
芸風コント
フリップ芸
事務所マセキ芸能社
活動時期1995年6月 -
同期おぎやはぎ
品川庄司
ゆってぃ
北陽
ハチミツ二郎(東京ダイナマイト)
西田幸治(笑い飯)
現在の代表番組レギュラー番組
ビットワールド
バズリズム02
家事ヤロウ!!!ほかスペシャル番組
もしも師
バカリズム
YouTube
チャンネル
バカリズム Official YouTube Channel
活動期間2017年 -
登録者数30.1万人
総再生回数3237万回
YouTube Creator Awards
登録者100,000人達成年不明
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-01-16-00002023年1月16日時点。
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バカリズム
メンバー升野英知
松下敏宏
別名バカリ
結成年1995年6月
解散年2005年11月30日(コンビ活動終了)
事務所マセキ芸能社
活動時期1996年 - 2005年
出身日本映画学校
出会い日本映画学校
旧コンビ名きくらげ
現在の活動状況コンビ解消(升野はピンで活動、松下は引退)
芸種コント
ネタ作成者松下敏宏→升野英知
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
バクマリヤ
笑う子犬の生活R
桂芸能社 など
受賞歴
1999年 高田文夫のラジオビバリー昼ズ「お笑いゴールドラッシュII」 優勝
1999年 第1回爆笑オンエアバトル チャンピオン大会 5位
2000年 TBSラジオ「赤坂お笑いD・O・J・O」 2代目免許皆伝(10勝)
2003年 第1回お笑いホープ大賞 決勝進出
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バカリズム(1975年〈昭和50年〉11月28日 - )は、お笑いタレント、ナレーター、司会者、脚本家、俳優、作詞家。本名は升野英知(ますの ひでとも)[1]。福岡県田川市出身。マセキ芸能社所属。R-1ぐらんぷり2006・2007・2009・2010ファイナリスト。
1995年から2005年までは本名名義で、松下敏宏とのお笑いコンビ・バカリズムとして活動。コンビを解散後、升野はそのままバカリズム名義でピン芸人として活動を継続する。 日本映画学校在学中、1995年に升野・松下のふたりによってコンビ「バカリズム」を結成。このコンビ名(後に升野単独の芸名)は升野が考えた造語であり、既存の言葉では調べた時にややこしくなるという思いから敢えてこの世に無い言葉で名付けたという[5]。ちなみに学校での2人は決して仲が良かったわけではなく、偶然漫才の授業でコンビを組んだのが出会いのきっかけであり、以降ビジネスパートナー的な存在だったと語っている[6]。 レギュラー出演を既に複数の番組で獲得した1990年代後半から2000年代半ば、『笑う子犬の生活R』では主要キャストとして活躍。2000年8月19日放送分では"特別編"と銘打って生瀬勝久・土田晃之・升野の3人のみでコント「やや甘い生活?何故、人生は中途半端になってしまうのか?」を披露[7]。(『笑う犬』本編にもエキストラとして参加していた。) しかし、『爆笑オンエアバトル』では1999年から2003年まで四年間出演するも苦戦を強いられる事が多く、第1回チャンピオン大会出場・「ラジオ挫折第一」で最高525KBという大きな功績は残したものの総合戦績は10勝13敗。ちなみに敗退した際の敗者コメントではスタッフからの要望もあり悔しさを強く表現するのが通例だが、2000年10月21日放送分で升野は「ベストは尽くした」という理由で「また同じネタを持ってきます」と無表情でコメント。スタッフから撮り直しの指示を受けてもコメントは変えず、5度の撮り直しで全て同じコメントをしたところ結局5度目が使われたことを後に明かしている[8]。 他事務所のライブにゲスト出演した際、あまりにもスベリ過ぎたため升野が舞台から逃げ出したことがある。
コンビ時代のメンバー
升野英知(ますの ひでとも、1975年11月28日[1] - )(48歳)
福岡県田川市出身。飯塚高等学校卒。日本映画学校卒。身長165 cm、血液型A型。妻は夢眠ねむ[2]。「#人物」および「#親交」も参照
松下敏宏(まつした としひろ、1974年4月4日 - )(50歳)
静岡県出身。日本映画学校卒。身長172 cm、体重58 kg、血液型A型。趣味は映画鑑賞。
2005年11月30日に芸能界を引退。現在は一般人のため、過去の映像や写真にはモザイク加工がされている。なお、2008年7月20日放送の「メントレG」に升野がゲスト出演した際は、モザイクなしでデビュー当時の宣材写真が紹介された。
ビビる大木に「ブルース・リーに似てるから」という理由で『ブルース』と呼ばれ始め、日村勇紀、土田晃之らに浸透。土田のフットサルチームに所属していたほか、柴田英嗣とは地元の友人関係だった[3]。
芸名を「松下フルマラソン」「松下ロングインタビュー」「松下スーパーライト」などコンスタントに改名していた時期がある。
コンビ解散以降は一切表舞台に出ておらず、升野も「全く会っていない」と公言している。そのため消息不明の状態が続いていたが、2019年8月にやついいちろうが稲川淳二の怪談ライブを観に行った際、終演後の会場ロビーで観に来ていた松下と偶然遭遇し、解散以来約14年ぶりの再会を果たした。以降は毎年エレキコミックの単独ライブを観劇していることをやついが明かしている[4]。
略歴
コンビ時代