(国旗)(国章(英語版))
国の標語: 堅固な忠誠心(英語版)国歌: バイエルン王家歌Bayerische Konigshymne
1871年時点でのバイエルン王国
公用語バイエルン・オーストリア語、上部ドイツ語方言
首都ミュンヘン
バイエルン国王
1806年 - 1825年マクシミリアン1世
1913年 - 1918年ルートヴィヒ3世
大臣主席/首相(英語版)
1806年 - 1817年マクシミリアン・フォン・モンジュラ
1917年 - 1918年オットー・フォン・ダンドル(英語版)
面積
1910年75,865[1]km²
人口
1900年6,176,057人
1910年6,524,372[1]人
変遷
プレスブルクの和約1805年12月26日
リート条約1813年10月8日
パリ条約1814年5月30日
ドイツ統一1871年1月18日
ドイツ革命1918年11月9日
通貨
バイエルン・グルデン(英語版)
(1806-1873)
金マルク
(1873-1914)
パピエルマルク
(1914-1918)
現在 ドイツ、 バイエルン州
バイエルン王国(バイエルンおうこく、ドイツ語: Konigreich Bayern)は、バイエルン公国を起源として、19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在したドイツ南部の王国。ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって治められた。 バイエルン(アルトバイエルン)は1180年からヴィッテルスバッハ家が治めており、1648年にはヴェストファーレン条約により選帝侯位を認められバイエルン選帝侯領となった。王国はドイツ連邦共和国のバイエルン州の前身であり、同州のほぼ全域とヴィッテルスバッハ家が世襲してきたライン宮中伯領に由来するプファルツ地方[2]を領土としていた。ラテン語に由来したバヴァリアの呼称が使われることもある。 1805年にプレスブルクの和約によってフランス帝国の同盟者であったバイエルン選帝侯マクシミリアン4世はオーストリアからティロルを割譲される。しかし、ティロル人はこの決定を良しとせず、反乱に遭う。同年4月13日にティロル伯領の首府インスブルックの守備隊を降伏させて鎮圧の足がかりを得て、失敗を重ねながらも11月10日にインスブルックを占領。1806年、近隣の領土を併合した上でナポレオンによって王国に昇格され、マクシミリアン4世はバイエルン王マクシミリアン1世を名乗り、ライン同盟の一員となった。
概要
歴史