ハーマン・メルヴィル
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暮らしに余裕の出来たハーマンは文筆業で身を立てようと、当時流行していた海洋小説(英語版)に手を染め、マルケサス諸島の体験を元に1845年処女作『タイピー』を発表[2]。1850年、メルヴィルは『Hawthorne and His Mosses』でナサニエル・ホーソーンを絶賛し、二人の交友が始まる。翌年『白鯨』を発表するなど精力的に創作活動を続けるが、諸作品はことごとく評価されず、文筆で身を立てることは出来なかった。そこで外国の領事館や海軍に職を求めるが雇い口は見つからず、生活に追われながら細々と小説を発表する状態が続く。1866年には、72編からなる詩での南北戦争についての見聞録「en:Battle Pieces and Aspects of the War」を制作した。

1866年12月、妻の親戚のつてでようやくニューヨーク税関の検査係の職を得るも、子供4人の内、長男マルコムのピストル自殺、自宅の焼失、次男スタンウィクスの出奔(1886年サンフランシスコで客死)などの不幸が続く。1891年に死去、遺作に中編小説ビリー・バッド[3][4][5]
著作の再評価

この節の加筆が望まれています。

難解な作風のため、一部の愛好者を除いて無視され続けていたメルヴィルの作品は、死後30年を経た1921年に再評価の動きがおこる。この年、レイモンド・ウィーバ(英語版)著『ハーマン・メルヴィル 航海者にして神秘家』が発表され、メルヴィルの評価は上昇し、『メルヴィル著作集』全16巻の刊行、『白鯨』の映画化(グレゴリー・ペック主演作など複数)などが行われる。メルヴィルの存命中に考えられなかったことに、今やアメリカを代表する文学者として世界中に知られるようになった。サマセット・モームの『世界の十大小説』に入っている。「en:Herman Melville bibliography (英語版の作品一覧ページ)」も参照

存命中は『白鯨』など主な作品はあまりの悲劇性、象徴性のためにまともな評価はされず、本人はずっと税関で働いて暮らしを立てていた。没後に、エマースンソローホーソーンポーホイットマンと並ぶ、アメリカ・ルネサンス(英語版)の作家の一人として、日本語訳も多く刊行された。
日本語訳の移り変わり

日本人研究者の古典となった酒本雅之『アメリカ・ルネッサンスの作家たち』[6]から、アメリカン・ルネサンスの再評価を試みる『アメリカン・ルネサンスの現在形』[7]多くがある。

詩人の原光が、八潮出版社で『イスラエル・ポッター』ほか数作を翻訳。

ハーマン・メルヴィル 著、原光 訳『イスラエル・ポッター : 流浪五十年』〈アメリカの文学24〉2000年7月。 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NCID BA47669599。 

原光 訳『メルヴィル選集I : 短編集』〈サボテン叢書〉1991年。 NCID BN06909332。 

ハーマン・メルヴィル 著、原光 訳『白鯨』八潮出版社〈アメリカの文学21〉、1994年9月。 NCID BN11308761。 

ハーマン・メルヴィル 著、原光 訳『メルヴィル中短篇集』八潮出版社〈アメリカの文学22〉、1994年9月。 NCID BN13878137。 

ハーマン・メルヴィル 著、原光 訳『詐欺師』〈アメリカの文学23〉1997年7月。


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