ハーブ・アルパート(Herb Alpert、1935年3月31日 - )は、アメリカ合衆国出身のトランペット奏者、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、歌手、ティファナ・ブラス(The Tijuana Brass)のリーダー、A&Mレコードの創始者。なお、A&Mの"A"はアルパート(Alpert)を指す。
代表曲には「蜜の味」「ビター・スウィート・サンバ」「マルタ島の砂」「悲しき闘牛」「ディス・ガイ」「ライズ」「ダイアモンド」などがある。そのサウンドはアメリカ音楽とメキシコのマリアッチを合わせた音楽として「アメリアッチ」と呼ばれた時期もあった。ニッポン放送の深夜ラジオ番組、『オールナイトニッポン』のテーマソングとして「ビター・スウィート・サンバ」が長年使われている。ヴォーカル曲とインストゥルメンタル曲の両方で、ビルボード誌全米シングル・チャートNo.1を獲得した唯一の人物でもある。 1935年3月31日、カリフォルニア州ロサンゼルスにてユダヤ系ルーマニア移民の両親の間に生まれた。8歳よりトランペットを習い始めたとのこと。1952年、高校を卒業後南カリフォルニア大学へ入学。在学時にトロジャン・マーチング・バンド
バイオグラフィ
A&M設立まで
彼のミュージシャンとしてのスタートは、ルー・アドラー(英語版)と共作の、サム・クックのヒットで知られる、「ワンダフル・ワールド」に始まる。しかしアルパート自身は、スタンダードナンバーになるようなヒット曲を生み出しながらも、作曲家としての自身の才能には執着せず、演奏家としての道を選ぶ。ドア・アルパート(Dore Alpert)の名でRCAレコードでキャリアを挙げ、ジャン&ディーン等をプロデュースした。1962年にジェリー・モスと100ドルずつを出資しインディーズのA&Mレコードを創設する。A&Mは現在こそ一大レーベルであるが、創設初期はアルパート自身のレコード・リリースの為に設立したプライベート・レーベルだった。なお、「A」はアルパート、「M」はモスの頭文字である。
1965年、「Let's Dance」のヒットを持つクリス・モンテスがA&Mレコードに移籍。アルパートはモンテスにミドル・オブ・ザ・ロード(イージーリスニング)のスタイルで歌うことをすすめ、モンテスはペトゥラ・クラークが同年に発表した「コール・ミー」をレコーディング。アルパートが編曲とプロデュースを務めたモンテスの同曲[2]はビルボードのイージーリスニング・チャートで2位を記録。続くシングル「The More I See You」も同チャートの2位を記録。これらのヒットによりモンテスはイージーリスニング路線を確立した。 アルパートは自身のガレージ内に小さいレコーディング・スタジオを起こし、その第一弾として"The Lonely Bull"(邦題「悲しき闘牛」)をレコーディング、自費でこのシングルをプレスした。そしてラジオDJを通して人気が広まり出した。 人気に応じて他曲も録音、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス名でデビューアルバム、『The Lonely Bull』をリリースした。このシングルは後にビルボード誌のポップ・シングル・チャート6位にまで達した。A&Mレーベル初のヒット・レコード盤となるが、録音したのはコーンウェイ・レコード(Conway Records)のスタジオだった。 1964年の終わりになると、アルパートはティファナ・ブラスを正式なバンドへ転換させる事を決意し、メンバーのオーディションを行い態勢を整えていく。「ただしメンバーの中にヒスパニックはいなかった」。 メンバーはアルパートを中心に、ジョン・ピサーノ
ティファナ・ブラス期
日本で一番有名な楽曲と見られる"ビター・スウィート・サンバ"は1967年10月2日にスタートした深夜ラジオ番組の王道であるニッポン放送系の「オールナイトニッポン」のテーマ音楽として親しまれている。この曲は1965年リリースのWhipped Cream & Other Delightsに収録されており、2006年にリイシューCDがリリースされている。