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日本との関係駐日大使の頃のエドウィン・ライシャワー。
ハーバード大学で本格的な日本研究が開始されたのは、1931年、ロシア生まれの東洋学者セルゲイ・エリセーエフが教員として招聘されたときとされている[25]。エリセーエフは日本語が堪能で、明治末期に東京帝国大学に滞在して夏目漱石や谷崎潤一郎らとも交流を深めた。
エリセーエフが着任後に始まった日本学研究で、最初の生徒の1人がエドウィン・ライシャワーである。ライシャワーは日本生まれ・日本育ちですでに日本語を話すことができたが、ハーバード大学院に入学後、エリセーエフからの薫陶を受けて東洋学全般への造詣を深めた[26]。ライシャワーは円仁『入唐求法巡礼行記』を扱った論文で学位を受けたのち、日本学研究者としてハーバードに着任した[27]。
第二次大戦後にライシャワーがエリセーエフに次いでハーバード大学の日本研究を主導するようになると、日本学は戦前の東洋学から切り離され、独立した地位を持つことになった[26]。図書館や教員数が大きく拡充されたのもこのときである[26]。
ライシャワーは1961年にケネディ大統領から在日アメリカ大使に任命され、6年間滞在するなど日本の政財界ともつながりを深めた。このときに知己を得た日本の富裕層からの寄付が、さらにハーバードの日本研究環境を充実させ、現在でもアメリカにおける日本研究の拠点としてはコロンビア大学などと並んで重要な位置を占めている[26]。
ライシャワー研究所を中心にハーバード大学は多くの日本研究者を育て、日本からの研究者・芸術家らの滞在も多数受け入れている[1]。また古くは小村寿太郎・山本五十六から、現在の雅子皇后[28]までハーバードに留学した著名人も数多い(「ハーバード大学に関係する日本人の一覧」を参照)。 人種構成 2022年時点でハーバード大学の人種構成は、白人が最も多く36%、アジア系21%、ヒスパニック系12%、黒人11%で、このほか外国籍の学生が11%を占める。[34] 卒業生 超富裕層(UHNW、Ultra High-Net-Worthの略)に関するリサーチや評価を行うWealth-Xが資産が3000万ドルを超える超富裕層がどの大学に通っていたかを分析した結果(Wealth-Xは学部と大学院両方の学位所有者を卒業生としてカウント。修了証書取得者・名誉学位受賞者・中退者などは集計から除いた)、2017年に発表した時点で、ハーバード大学出身者は全米一位の1,906人いると報じられた[35]。 上級生向けに12の学生寮(ハウス)がある。三月上旬に行われるハウジング・デイ(Housing Day)で 二年生からどこの寮で暮らすのかが知らされ、夏休み明け直前に一斉に引越しをする。二年生以上も、一年おきに部屋が変わる。それぞれの寮に教授が住んでおり、教授宅でのパーティを始めとしたイベントは多岐に渡る。 12寮それぞれがマスコットキャラクター・旗・色を持っており、3月頭に行われるHousing Dayではそれぞれの寮をモチーフにしたビデオを撮影・公開したり、オリジナルのユニフォームを作ったり、着ぐるみを着たりと様々な個性・工夫が凝らされキャンパスは賑わいを見せる。 またダドリー・ハウスはハーバード13番目のハウスとして、大学院生を組織化している。ハーバード大学が、不動産部門、アパートを持っており、大学院生のための住居を斡旋している。コナントホールなどの大学院生専用居住施設もある。 学生が代表を務める学部生徒会と大学院生徒会は、12の大学院および専門職大学院の学生を代表するもので、ほとんどの大学院および専門職大学院にも学生自治会がある。[36]
ハーバード大学関係の日本人会
Kennedy School 日本人会[29]
Business School 日本人会[30]
Public Health School 日本人会[31]
ボストン日本人研究者会[32]
HarvardMed-J[33]
学生像
学生生活・課外活動キャンパス俯瞰
学生寮新入生向け寮については「en:List of Harvard College freshman dormitories」を参照
学生会
スポーツ詳細は「:en:Harvard Crimson」を参照
ハーバード大学のスポーツチームは、スクールカラーから「クリムゾン」と呼ばれている。
ザ・ゲーム(The Game): 毎秋恒例のイェール大学とのフットボール交流戦。ハーバード大学で行われる場合は、オールストン(ボストン)側にあるハーバードスタジアムが会場。
アイスホッケーはハーバード大学が全米大学体育協会(NCAA)の全米選手権チャンピオンになった初めてのスポーツであり、1989年に優勝している。フローズン・フォー(全米ベスト4)にも13回もの進出を果たしており、ハーバード大学の中で最も成功しているチームの一つ。