ハードロックの特徴としては以下が挙げられる。
ギタリスト及びヴォーカリストが主役、リズム隊は脇役[注 4]。
曲の主に中盤に長いギターソロを用いる[注 5]。
ヴォーカリストのシャウト[注 6]。
ラウドで、音を歪ませたギターでの大音量演奏[注 7]。
初期には、ブルース・ロックの影響が強かった[注 8]。
大音量によってアンプをオーバードライヴ状態にして、歪みを生じさせた手法も見られる。ベース&ドラムはサポートにまわるのが一般的である。
ハードロックなどロック分野だけに留まらず、ポピュラー音楽の発展はブルース[3]との関連抜きに語ることは難しい。ブルースは、もともとは奴隷状態下に置かれたアメリカの黒人の労働歌を唄ったものに起源があり、これ故「簡素で分かりやすい形式」(I→IV →Vを基本形とする単純なドミナント進行)であり、またその境遇故に、唄われる内容は少なからずプロテストな色彩であった。ジャズもブルース起源であるが、ほとんどがインストルメンタルの場合が多く、ビリー・ホリディ[注 9]やマックス・ローチ[注 10]らを除けば、辛辣、痛烈な批判をするなどの直接的な表明をすることが難しかった[注 11]。また、アメリカに於いては黒人人口が多く、ロックンロール、ロカビリー[4]などの、カントリーに黒人音楽のブルースやR&Bを混合した音楽が発達した。1950年代は、アメリカのロックンロール、ロカビリーが、世界のかなりの数の若者の心をとらえていた時代である。
イギリスではスキッフル・ブーム[注 12]の後、より直接的な感情の発露の手段として、ブルースが若者の心をとらえたことから、ブルースを基調とする音楽を演奏する者が次々現れた。60年代には、イギリスではちょっとした「ブルース、ブルース・ロック・ブーム」になった。これが、イギリスにおけるハードロックの原点である。アメリカでも、原点であるブルースに回帰する流れの中に、60年代後半のキャンド・ヒートやポール・バターフィールド・ブルース・バンドなど多くのバンドがいた。
ロックはブルースから簡素でわかりやすい形式や、少数の曲はプロテスト的な歌詞を受け継いでいるが、白人の演奏家は黒人文化とは縁遠いため、「跳ねるリズム感覚」を所有していなかった。これは白人のハードロック、プログレッシヴ・ロックが、クラシック音楽をルーツとしていることが主因と見られている。
ハードロックの起源とされるのは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」「レボリューション」[注 13]や、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ブルー・チアー[5]、ヴァニラ・ファッジなどである。彼らは、ロック、ブルーズとサイケデリック・ロックを融合し、新しいスタイルを呈示してみせた。特に、ジミ・ヘンドリックスは、大音量でディストーションの掛かった音の先駆けとなった。またブルー・チアーやマウンテン[注 14]、フリー、グランド・ファンク・レイルロード、ユーライア・ヒープ[6]なども、ハードロックの草分け的なバンドであった。ハードロック誕生の背景としては、アメリカで起こっていた公民権運動、これと同時進行する形で世界各国で学生運動が発生、ベトナム反戦運動がこの流れに合流した。このように60年代は「反権力」を旗印とした市民運動が、全世界的に盛り上がった時代である。ブルースの流れを踏襲しているロック音楽は、プロテスト音楽的色彩を帯びた。無論プロテスト的ではないロックも存在していたが、この時代のムードにマッチしたものはプロテスト的なロックであった。その親和性故に市民運動の集会とロック(またはフォークソング)コンサートが合同で行われるコラボレーション)が自然発生的に出来上がった。若者を中心に人が集まる「市民運動団体」と「レコード会社、コンサート興行主等の音楽産業界」双方の思惑が一致したことから、このコラボレーションは次第に大規模化、組織化されていく。この最大規模のものが「ウッドストック・フェスティバル」(1969年)である。
サウンド的には、歪んだギター・サウンド(ディストーション・サウンド)と直情径行のラウドな音量だった。具体的に表現するなら、チョーキングとアーミングの使用である。ただ、チョーキングとアーミングを使い出したのは、何もハードロックが最初ではない。例えばチャック・ベリーやアルバート・キング[注 15]らはチョーキングを使い、ベンチャーズはアーミングを多用した。
1968年には、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンがデビューした。1970年には、後にヘヴィメタルの代表的存在となるブラック・サバスがデビューした。3枚目ぐらいから、ディープ・パープルがハードロックに転向。ディープ・パープルのアルバム『マシーンヘッド』(1972)には、「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の有名曲が収録されていた[7]。クイーンも、73年から75年ごろまでは、ハードロック・サウンドが主体だった。1973年には、グラム・ロックの影響の見られる女性ロッカースージー・クアトロがデビューした。他にも、ホークウィンド、スレイド、スウィートらが活躍した。このころには、ハードロックが欧米中心にブームとなった。
アメリカでは、1970年代にはブルー・オイスター・カルトや、アリス・クーパー、カクタス[8]、ジェイムス・ギャング、リック・デリンジャー、モントローズらが活躍した。カナダのゲス・フーの『アメリカン・ウーマン』(1970)も、ハードなヒット曲だった。
エアロスミス[注 16]、キッス[注 17]、クイーン[注 18]は、70年代前半にはすでにデビューしていたが、人気が出てきたのは、70年代後半だった。シン・リジィやナザレスはUSチャートでヒットを出し、アメリカ進出に成功した。ZZトップやレーナード・スキナードなどサザン・ロック・バンドも、ハード・ロック的な音を出していた。一方でジャーニー、ボストン、フォリナー、TOTO、スティクスなどは、”産業ロック”[注 19]というカテゴリーに含まれた。スティックスはハードロックというよりも、ポップなプログレッシヴにジャンル分けするのが妥当である。70年代後半にはパンク・ニューウェイブが一大ブームとなり、ハードロックの人気は下降した。当時の人気バンドとしては、ジューダス・プリースト、レインボー(ブラックモアズ・レインボー)がいた。英米以外の国では、カナダのマホガニー・ラッシュ、オーストラリアのAC/DC、ドイツのスコーピオンズ、オランダのゴールデン・イアリングらが活躍した。ソロ・ギタリストではロイ・ブキャナン、パット・トラヴァース”[注 20]という、ロビン・トロワー”[注 21]というらがいた。日本のハード・ロックでは、カルメン・マキ&OZ、紫、コンディション・グリーン、クリエイション(元のブルース・クリエイション)、VOWWOWらがシーンを盛り上げた。