ハンプトン・コート・パレス
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1689年から1695年のいずれの年かに、ジョージ・ロンドンとヘンリー・ワイズによってウィリアム3世のために植栽されたもので、規模は3分の1エーカー(1300平方m)、半マイル(800m)の散歩道を含んでいる。現在のデザインは、トマス・ウルジー卿のために植えられた初期の迷路とは違っている。オリジナルはシデの木が植えられていたが、補修の際には異なった様々な種類の木が生け垣に用いられた。

迷路園は、60エーカー(243,000平方m)に及ぶ川沿いの庭園の中にある。この迷路園について多くの著者が言及している。ダニエル・デフォーは迷路園を誤って迷宮と呼び、ユーモア小説家のジェローム・K・ジェロームは著書の「ボートの三人男」で次のように触れている。「まあ行ってみよう。そうすれば話題にできるからな。しかし実に単純なものだ。迷路と呼ぶのもふさわしくないほどだ。右に曲がり続けるといい。10分ほど歩けば出られるだろうから昼食でも食べよう。」...ハリスは右に曲がり続けた。しかし長い道のりに思えた。これはとても大きな迷路だと思う、といとこは言った。「そう、ヨーロッパでもかなり大きい方に入る」とハリスは言った。「うん、きっとそうだろうね」といとこが答えた。「我々はありがたいことに、すでに2マイルは歩いているよ。」ハリスは自分自身でもおかしいなと思い始めたが、我慢していた。しかし、ちぎった菓子パンが地面に落ちているところを通り過ぎると、とうとうハリスのいとこが、7分前にもここを通ったと断言した。

ジェロームは、迷路の難しさを誇張している。迷路にはあまり分岐点がなく、彼の時代にあった唯一の分岐点は、間違った道に入ってもすぐに行き止まりになっていた。現在では、これよりもさらに大きく精巧な迷路が数多く存在する。近年、分岐点が3箇所新しく導入されたが、入り口のすぐ外に展示された地図には表示されていない。このため、迷路の中を迷い歩く可能性が増えている。ハリスが述べたように、入り口から中央まで右手を常に壁に当てたままにするという右手法はいまだ有効で、迷路の入り口から中央まで進み、戻ることができる。この方法は挑戦者をいくつかの袋小路に導いては、また脱出させる。しかし最短距離で出られるというわけではない。
ギャラリー

中庭

回廊

プリヴィ・ガーデン

庭園

庭園

ウェールズのドラゴン

西のファサード

東のファサードと庭園

ヘンリー8世の頃の台所

王立刺繍学校

1872年設立の英国王立刺繍学校(en:Royal School of Needlework)が1987年に宮殿内に移設された[5]。同校は、ジョン・マナーズ (第5代ラトランド公爵)の外孫のヴィクトリア・ウェルビィ(en:Victoria, Lady Welby、1837 ? 1912)が1872年にスローン・ストリートの一室で20人の女性を集めて始めた刺繍工房「School of Art Needlework」を前身とし、初代校長にヘレナ (イギリス王女)を迎え、1875年に王立学校となった[6]。20世紀初頭にはお針子150人を抱え、ヴィクトリア&アルバート博物館近くに転居、その後現在地に移転した[6]。貧困女性の自立支援のために設立され、王族・貴族の衣服などの刺繍を多数手掛けてきたほか、第一次大戦帰還兵のセラピーのために刺繍を教えたり、第二次大戦時には戦争協力としてレースを販売するなどもした[6]。また、2002年のFIFAワールドカップのロゴ刺繍、ポール・マッカートニーの『心の翼 (アルバム)』のジャケット、ゲーム・オブ・スローンズなどの刺繍も手掛けた[6]
^ 王立郵便は宮殿を東モルセー管内に含めており、変則的にサリーの郵便アドレスを振り当てている。
^ 水野久美『いつかは行きたいヨーロッパの世界でいちばん美しいお城』大和書房、2014年、185頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-479-30489-0。 
^ 安藤聡『英国庭園を読む:庭をめぐる文学と文化史』彩流社、2011年、83-84頁。ISBN 978-4-7791-1682-7。 
^ 1980年代まで「Grace and favour」制度では、宮殿も住居として貸与された。
^ Royal School of NeedleworkRoyal School of Needlework
^ a b c d The Stitch BankRoyal School of Needlework

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ハンプトン・コート宮殿に関連するカテゴリがあります。

Historic Royal Palaces(En)

ハンプトン・コート(En) 歴史的な王宮

Grace & Favour: ハンプトン・コートに住んだ人物 1750-1950(En) - 10?13ページに、宮殿のフロアマップがある。

ジョナサン・フォイル "ハンプトン・コート : 失われた宮殿" 2002(En)

Google Map による迷路園の空撮

ハンプトン・コート・フラワー・ショー(En)

ハンプトン・コート宮殿のロイヤル・テニス・コート(En)

ハンプトン・パレス宮殿のロイヤル・チャペル聖歌隊(En)

空撮と地図

ハンプトン・コート写真その他(En)

ハンプトン・コート 王の衛兵の部屋バーチャル・ツアー(En)

ハンプトン・コートの幽霊(En)

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