ハンブルク
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このときプロイセン王国に属するアルトナ市は、市街地をハンブルクに隣接させていたが、水道を濾過する設備を整えており、コレラの侵入を全く阻んで瘴気説の終焉をもたらした[20]

近現代

1918年11月のハンブルクの人民蜂起はドイツ帝国崩壊の先触れとなり、短期間ではあるが、社会主義レーテ共和国が樹立された。

第二次世界大戦では潜水艦基地がおかれ[注釈 1]連合国軍のハンブルク空襲により多くの市民が命を奪われた。1946年、マックス・ブラウアー(英語版)が戦後初の市長となった。1949年ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立し、ドイツ通信社が発足した。

現代

2007年10日、ハンブルク市内でドイツ社会民主党(SPD)全国大会が開かれ、ベルリン綱領(1989年)に代わる党綱領「ハンブルク綱領」を採択した。

2017年7月7日-8日、ハンブルク市内で第12回G20首脳会議が行われた。

会議に合わせて7月6日より市内で大規模デモ行進が行われ少なくとも1万3,000人が参加。一部は暴徒化し、警官75人が負傷した[21]
人口統計

国別の海外出身者の人口[22]
出身国人口 (2022)
 トルコ44,780
 ウクライナ33,570
 アフガニスタン24,635
 ポーランド23,310
 シリア17,725
 ポルトガル11,465
 ルーマニア10,510
 イラン9,725
 ロシア9,375
 ブルガリア8,830
 北マケドニア共和国7,870
 ガーナ7,650
 イタリア7,570
 セルビア7,405
 クロアチア6,785
 インド6,420
 中国6,235
 ギリシャ6,095
 スペイン6,040
 フィリピン5,740
 イラク5,180
 フランス4,940
 オーストリア4,610
 ボスニア・ヘルツェゴビナ4,235
 アメリカ3,880
 エリトリア3,085
 ベトナム2,965
 エジプト2,875
 イギリス2,750

現在ハンブルクの人口はおよそ186万人でベルリンに続くドイツで2番目に大きい都市である。ハンブルク港の影響でハンブルクは国際的な都市になった。ハンブルクは大きなポルトガル人コミュニティがあり、およそ11,000人が住み、ドイツの中でも一番多い。ハンブルク港の近くにはポルトガル人街(ドイツ語版)があり、ポルトガルのレストラン、カフェや機関がある。アフガン人のコミュニティも多く、およそ25,000人でヨーロッパの中でも一番多い。ハンブルクにはアフリカ系のコミュニティも多くおよそ70,000人のアフリカ系市民が住んでいる[22]。ハンブルクは1893年に50万を超え、1919年に100万、1963年に185万を超えた。ハンブルクは欧州連合で7番目に大きな都市で、その中でも首都以外では1番目に大きな都市である。
政治ハンブルク市議会の議場ハンブルク市議会の勢力図(2021年現在)

現在も市民にはプロテスタントが多い。政治的には中道左派のドイツ社会民主党 (SPD) が長期間市政を担うなど、南ドイツ第一の都市・ミュンヘン市とはサッカーに限らずあらゆる点で対照的である。

ミュンヘンのあるバイエルン州はカトリックの地盤であり、政治では保守政党のキリスト教社会同盟 (CSU) の勢力が強い[注釈 2]
市長

市の首長は正式には「第一市長」(Erster Burgermeister)である。2011年からSPD党首代行のオラフ・ショルツが市長を務めていたが、2018年3月にメルケル連立政権の連邦副首相として入閣することとなり、同月28日、SPDのペーター・チェンチャーがハンブルク市長に就任した。
議会

ハンブルク市議会の定数は123。2020年2月23日に行われた選挙での、各党の「得票率/獲得議席数(前回2015年選挙からの増減)/議席占有率」は以下の通りである。

   ドイツ社会民主党 (SPD) 39.2%/54議席(-4)/43.9%

   同盟90/緑の党 (GRUNE) 24.2%/33議席(+18)/26.8%

   ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 11.2%/15議席(-5)/12.2%


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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