ハンブルク
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この地名の最も古い形は、834年 古高ドイツ語 ’Hammaburg’である。これは、高い乾燥した砂地の岬にあるカロリング朝の城塞を指している。’Hamma’ は、現在のドイツ語で ’Hinterschenkel, Kniekehle’「太もも、大腿、膝窩(しっか)、ひかがみ」、転じて ’Winkel, Krummung, Bucht’「角、湾曲、湾」を意味した。しかし、この地は高地ドイツ語ではなく、低地ドイツ語の地域に入るので、現在のドイツ語で ’umfriedetes Stuck Weideland’「(柵、堀などで)囲われた牧場あるいは(魚や鳥の)餌場」を意味する中低ドイツ語(mittelniederdeutsch) ’hamme’の古い形が存在したかもしれない。’burg’ は「城塞」を意味する[5]。漢字表記の「漢堡」は、「Hamburg」の音訳であり、日本語と中国語の両方で同一表記である(※漢字の「堡」は「とりで」を意味しており、「burg」の直訳)。ハンバーグの語源はハンブルクの労働者の食事として流行っていたタルタルステーキから来ている。英語でもハンブルクのことを“ハンバーグ”に近い 発音で呼ばれる。なお、フランス語では「Hambourg」(アンブール)と表記される。
地理
位置

エルベ川の支流・アルスター川の河口にある港湾都市で、ドイツ北部における経済の中心地。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ニーダーザクセン州に境を接する。近隣の都市としては、約80 km北のキール市、55 km北東のリューベック市、95 km南西のブレーメン市、95 km西のブレーマーハーフェン市、90 km東のシュヴェリン市などが挙げられる。

市域は、アルスター川東岸の旧市街と西岸の新市街、それらをとりまく地域からなる。旧市街は昔から商業地域の中心で、数多くの運河が流れている。町の景観の特色のひとつが運河にかかる橋で、アムステルダムヴェネツィアをあわせたよりも多くの橋がある。そのほかの名所としては、港にかかる長いつり橋ケールブラント橋や、アルスター川をせきとめてつくった内アルスター湖と外アルスター湖[6]、現在では旧市街を囲む公園・遊歩道となっている古い市壁跡地があげられる。また、ナイト・クラブが並ぶレーパーバーン歓楽街として有名である。

なお、市の中心部とは約100 km離れ、ブレーマーハーフェン以北約40 kmのエルベ川河口付近のワッデン海北海)の島嶼および干潟の一部は同市の飛地である。一帯はゼニガタアザラシハイイロアザラシおよび多くの鳥類魚類の生息地であり、1990年にラムサール条約登録地[7]、1992年にユネスコ生物圏保護区に指定された[8]
行政区画市の区域

ハンブルク特別市は、7つの区域(Bezirk)に区分されている。
アルトナ区 (Altona)

ベルゲドルフ区(ドイツ語版) (Bergedorf)

アイムスビュッテル区(ドイツ語版) (Eimsbuttel)

ミッテ区 (ハンブルク)(ドイツ語版) (Hamburg-Mitte)

ノルト区 (ハンブルク)(ドイツ語版) (Hamburg-Nord)

ハールブルク区(ドイツ語版) (Harburg)

ヴァンツベック区(ドイツ語版) (Wandsbek)

気候

ハンブルク (1991-2020)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)14.3
(57.7)17.4
(63.3)23.0
(73.4)29.7
(85.5)33.5
(92.3)34.8
(94.6)36.9
(98.4)37.3
(99.1)32.3
(90.1)27.1
(80.8)20.2
(68.4)15.7
(60.3)37.3
(99.1)
平均最高気温 °C (°F)4.2
(39.6)5.2
(41.4)8.7
(47.7)13.9
(57)18.0
(64.4)20.9
(69.6)23.2
(73.8)23.0
(73.4)18.8
(65.8)13.6
(56.5)8.2
(46.8)5.0
(41)13.6
(56.5)
日平均気温 °C (°F)2.1
(35.8)2.4
(36.3)4.9
(40.8)9.1
(48.4)13.0
(55.4)16.0
(60.8)18.3
(64.9)18.0
(64.4)14.4
(57.9)10.0
(50)5.7
(42.3)2.9
(37.2)9.7
(49.5)
平均最低気温 °C (°F)?0.5
(31.1)?0.5
(31.1)1.1
(34)4.0
(39.2)7.6
(45.7)10.8
(51.4)13.3
(55.9)13.1
(55.6)10.1
(50.2)6.3
(43.3)2.9
(37.2)0.4
(32.7)5.7
(42.3)
最低気温記録 °C (°F)?22.8
(?9)?29.1
(?20.4)?15.3
(4.5)?7.1
(19.2)?5.0
(23)0.6
(33.1)3.4
(38.1)1.8
(35.2)?1.2
(29.8)?7.1
(19.2)?15.4
(4.3)?18.5
(?1.3)?29.1
(?20.4)
降水量 mm (inch)67.0
(2.638)55.0
(2.165)57.0
(2.244)39.0
(1.535)58.0
(2.283)74.0
(2.913)82.0
(3.228)78.0
(3.071)65.0
(2.559)63.0
(2.48)61.0
(2.402)73.0
(2.874)772.0
(30.394)
出典:Wetter Hamburg

歴史2世紀の学者プトレマイオスが著した『地理学』の15世紀写本より、Treva と書かれた部分が現在のハンブルクである1730年のハンブルクの様子1800年のハンブルク1890 - 1900年のハンブルク
古代

石器時代の石器が発見されていることから、石器時代にも人間が住んでいたことがわかっている。紀元前4世紀の巨石を使った墓なども現存している。ローマ人は、このあたりの場所をTrevaと呼んでいた。ローマの金貨が出土していることから貿易も行われていたようである。ローマ側の記録では琥珀の輸送に使われていたとされる。
中世

この地の古い部分には、スラブ人が居住していたと思われる[9]

カール大帝804年に国王荘館(Konigshof)を置き、811年に洗礼教会(Taufkirche)をアルスター川(die Alster)のエルベ川に合流する地点の近くに建設する指示を下したと推測される。825年ルートヴィヒ1世(敬虔王)は「ハンマブルク城砦」(Kastell Hammaburg)を築かせる[10]831年アンスガル(Ansgar)がこの地の大司教に叙任される[11]

教会建設と結びついた集落(旧市区)は845年デーン人の襲来により破壊され、848年には大司教座がブレーメンに移される。983年にはスラブ人との戦争により再びこの街は破壊される。1066年1072年にもスラブ人に襲われている。12世紀の新市区の建設がハンブルクの歴史の転機となる。1188年 ホルシュタイン伯アドルフ3世(Graf Adolf III. von Holstein)はミニステリアーレのヴィーラト・フォン・ボイツェンブルク(Wirad von Boizenburg)をリーダーとする人々に入植権を与える。新規入植者は税金を支払うことなく割り当てられた土地を所有することが許されるものだった。1189年5月7日アドルフは神聖ローマ皇帝 フリードリヒ1世から、旧市区と新市区の両集落に対する特権状を獲得する。これは、住民にエルベ川下流での無関税船舶運航を保証するものだった[11]

1201年、ハンブルクはホルシュタインと一緒にデンマーク領になる(26年間にわたる)。1216年、旧市区と新市区は合併する。1228年、ブレーメン大司教は旧市区に対して保有していた都市君主としての権利をホルシュタイン伯に譲渡する。司教座教会参事会の不入地域(der Immunitatsbezirk des Domstifts)は統合市域(Statische Integration)から長い間除外されたままになり、それがために14世紀に市民側と激しい抗争を引き起こすことになった[11]。この頃ハンブルクは一大貿易港へと急速に発展する[10]。市長を置き、参事会を設置するなど都市君主からの自由度を高めてゆき、ツンフトが形成される。参事会会員は世襲の都市貴族に限られなかったので、社会的上下間の流動性が見られた[12]

また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市としての発展が進み、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟をむすんだ。


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