ハンバーグ
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1870年代、多くのドイツ人ハンブルクからアメリカに渡るようになると、移り住んだドイツ人がアメリカでもドイツの郷土料理であるフリカデレを愛食し、ハンバーグは伝わった。ハンブルクから広まったこの肉料理は、アメリカで「ハンブルクの厚肉焼き」を意味する「ハンバーグステーキ (Hamburg steak) 」と呼ばれるようになった[10]

しかし、当時のアメリカにおけるハンバーグの品質は決して高いものではなかった。ハンブルクはホルスタインの原産地として知られるドイツホルシュタイン州と隣接しており、上質な牛肉を生産していたが、当時のアメリカのハンバーグは低品質の肉の切り身から作られていた[11]

現在、アメリカにおいてハンバーグが確認できる最古の文献は、1873年のニューヨークに存在したレストラン、デルモニコ (Delmonico's) のメニュー表であり、そこには「hamburger steak」と記されている[12]

このレストランでは、実際にチャールズ・ランホーファー(1836年 ? 1899年)がハンブルクステーキの11セントプレートを顧客に提供したという記録も残っている。この価格は単純なビーフステーキの2倍にあたり、ハンバーグは高級食材として位置づけられていた[13]。また、1894年にチャールズ・ランホーファーが出版した『The Epicurean:A Complete Treatise of Analytical&Practical Studies』という本には、「hamburger steak」のリストが掲載されている。

1876年、フィラデルフィア博覧会でドイツ人移民が多くのドイツ料理店を出店すると、当時珍しかったハンバーグは人気を博し、アメリカでも広く知られるようになった[14]
日本への伝来.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "ハンバーグ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年2月)

日本で初めて「ハンブルク風ステーキ」という挽肉料理が提供されたのは、1882年(明治15年)、日本初の料理学校である「赤堀割烹教場」の開校披露の席上であったとされる。これはつなぎを入れない牛ひき肉のみを成形し、小麦粉をまぶしたものを油脂で焼き上げ、トマトソースを添えたものであった[15]フリカデレとサラダ

一般民にハンバーグ料理を提供していた最古の資料としては、讃岐鉄道の1902年(明治35年)12月の食堂車・御品書があり、ドイツ料理のフリカデレ(最古のハンバーグ)が提供されていた。これは、讃岐鉄道の経営を立て直しを図る中で、食堂車・車内販売に日本初の女性乗務員を導入するとともに、当時として最先端の料理を提供し、讃岐鉄道の話題性を上げる目的で、社長・大塚惟明のアイデアで始まったものであった[16][17]

料理書において確認されている最古の表記は、1905年(明治38年)の『欧米料理法全書』(高野新太郎 1905, p. 216)で「ハムボーグ、ステーキ (Hambwog Steak)」として記述されている。

現在のハンバーグに類する挽肉料理は明治時代より伝わっていたが、「ハンバーグステーキ」という呼称は一般的ではなく、「ジャーマンステーキ」、「ミンチボール」などさまざまな名称で呼ばれていた[要出典]。また、当時は個食としてのハンバーグ、ミートボールの類よりも、金型で焼き上げ切り分けて供するフーカデン(ミートローフ)のほうがよく知られており、1888年(明治21年)の『軽便西洋料理法指南』や1910年(明治43年)の『軍隊料理法』などにはこちらのレシピが収載されている。

「ハンバーグステーキ」という料理名が徐々に認知されるようになったのは大正から昭和にかけての頃で、日本における洋食の普及に大きな役割を果たした大日本帝国軍の影響があったと考えられる。1918年(大正7年)の海軍四等主計兵厨業教科書には「ハンパクステーキ」という名称で記載があり、1937年(昭和12年)の『軍隊調理法』(糧友会 1937)には「挽き肉油燒(ハンバーグステーキ)」という名称で収載されている。

戦前のミンチボール、ハンバーグステーキがハンバーグという短縮形に変化したのは戦後のことで、これは進駐軍が持ち込んだ「ハンバーガー」および「ミートボール」という英単語の影響があったと考えられる。アメリカのハンバーガーステーキや、サンドイッチとしてのハンバーガーに用いられるパティは、つなぎやたまねぎなどは入れない牛ひき肉100%が基本で、日本に定着していた「ミンチボール」や「ハンブルグステーキ」とは味も食感も異なるものであったが、挽き肉を練って薄く伸ばせばハンバーグ、同じ材料を球形にまとめればミートボールという、形状によって区別する大雑把な認識で定着していった[要出典]。

日本においても、元来ハンバーグステーキはあくまでも牛肉料理であり、代用として豚肉を混ぜた合挽肉が使用される程度で他の肉が使用されることは基本的になかった。しかし1962年鯨肉鮪肉を原料とした「マルシンハンバーグ」が、1970年には「イシイのチキンハンバーグ」が発売され、共に大ヒット商品となったことによって、小判型に整形した肉団子ならばその原料を問わず「ハンバーグ」と呼ぶようになっていった[18]


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