ハンニバル
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第二次ポエニ戦争(別名ハンニバル戦争、紀元前218年 - 紀元前201年)の始まりであった。
トレビアの戦いトレビアの戦い。トレビア川を越えるローマ軍(紀元前218年12月)カルタゴ軍は青色。トラシメヌス湖畔の戦いの陣形図(紀元前217年6月)詳細は「トレビアの戦い」を参照

ローマはハンニバルの攻勢を予測してはいたが、アルプス山脈を越えて侵攻してくるとはまったくの予想外であり、戦闘はイベリア半島平野部で構えようと備えていた。執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオはただちに敵軍の動きを阻止すべくローマ軍を出陣させるが、ティキヌスの戦いで敵軍に撃破され、スキピオ自身も負傷する。ローマ軍の敗北を見るや、周辺のガリア人部族はハンニバルに協力し始めた。ハンニバル軍は続くトレビアの戦いでも、もう一人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスを破る。
トラシメヌス湖畔の戦い詳細は「トラシメヌス湖畔の戦い」を参照

こうして北イタリアに勢力基盤を築き上げると、ハンニバルはさらに版図を拡大すべく紀元前217年の春に南下を開始し、エトルリアに侵入する。これに対し、ローマ軍は新たな執政官グナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスが再びハンニバルの進路を阻もうと進軍するが、トラシメヌス湖畔の戦いで敗北、執政官は両名とも戦死した。この勢いに乗じてローマの同盟都市に離反を促すため、南イタリアマグナ・グラエキア)へ向かったハンニバルは「戦勝を材料として同盟都市を離反させ、その上でローマを滅ぼす」戦略であった。一方で戦勝の勢いに乗り敵のローマ本軍とその捕虜には厳しく接し、他方、同盟都市の捕虜は丁重に遇して即時釈放し、ローマからの離反を促すメッセージを託すなど、工作を重ねていくのである。そうした戦いの中、不衛生な沼沢地の行軍などで疫病に感染し、ハンニバルは左目の視力を失った。

ここに至ってローマは非常事態宣言を発令し、クィントゥス・ファビウス・マクシムス独裁官に任命する。ファビウスはハンニバルと対峙しつつ直接の戦闘は避けるという方針で臨んだ。ハンニバルはアプーリア(現在のプーリア)を荒し回りカンパニアへ進軍したが、ファビウスはハンニバル軍に接近するものの、ハンニバルが戦いの火蓋を切ろうとすると退く戦法を繰り返す。
カンナエの戦い詳細は「カンナエの戦い」を参照カンナエの戦いの[7](紀元前216年8月)ハンニバル側は青色。ハンニバル軍のカプア侵攻(紀元前216年)。破線は進路、丸印はローマが治めてきた都市。炎のアイコンは焼き落とされた都市を示す。カプアはローマを離れてカルタゴ側についた。

紀元前216年、ローマの執政官にガイウス・テレンティウス・ウァッロルキウス・アエミリウス・パウッルスが当選した。このうち、ファビウスの戦法に不満を持つ前者ウァッロはハンニバルに対して果敢に立ち向かってゆく。ウァッロはローマ軍を増強し、同盟都市からも兵を募って、ハンニバルのいるアプーリアへ南進した。しかしハンニバルは相手の性急さを利用して決戦に持ち込み、史上有名なカンナエの戦いでローマ軍を完膚なきまでに叩き潰す。この戦いではローマ兵5万から7万人が戦死あるいは捕虜になったという。戦死者は執政官パウッルスと次期執政官内定者2名、さらに執政官補2人と高級将校48人にのぼり、ローマは一度の戦闘で指導者層の25%を失うという、過去に例のない完敗を喫した。これ以降、ローマはハンニバルに対して消極的な戦法に徹することになる。

勝利したカルタゴ側では余勢を駆って一気にローマを攻略すべきだという声があがり、特に騎兵隊長のマハルバルが強く進言したが、ハンニバルは攻城兵器兵站の不足という戦略上の理由から、首都ローマへの進軍を選択せずにローマ同盟都市の離反を図ると決定する。この時、マハルバルはハンニバルに対し「あなたは勝利を得ることができるが、それを活用することは知らない」と言ったという。

ハンニバルは紀元前216年にカプアを、紀元前212年タレントゥムをローマから離反させ、シチリア島のギリシア人都市にも反乱させるなど手柄を挙げたが、それらを除く目立った戦果をあげないまま、イタリア半島で一進一退の膠着状態にもつれこむ。上記の戦勝を背景にした工作にもローマと同盟都市の結束は崩れず、このことがハンニバルの戦略的誤算として祟っていく。シラクサヒエロニモスと同盟したハンニバルはカルタゴ本国に補給を要求したが、初めから日和見の立場を取り続けた政府は制海権をローマに握られており、ハンニバルは本国から有効な連携を引き出せなかった。
ローマ側の反撃、スキピオ登場

ファビウスの消極戦法は効果を発揮し、ハンニバル軍は次第にカンパニア領内に封じ込められつつあった。これに対してハンニバルは紀元前215年アンティゴノス朝ピリッポス5世とも同盟を結び、ローマを内外から圧迫してゆく。スキピオの胸像[疑問点ノート]


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