ハンニバル・レクター
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ハンニバルも多数の戦争遺児と共にそこに収容されるが、別荘での一件以来、失語症(精神的な理由では発症しないとされているため実際には失声症と思われる)になっていた上に、たびたび夜驚を起こしていたレクターは、誰とも交友関係を結ぼうとせず、一日の大半を一人で過ごし、他の戦争遺児たちから疎まれる存在になる。施設の職員に常々反抗的な態度をとっていたハンニバルは素行不良として目をつけられるが、フランスに住む叔父のロベール・レクターがハンニバルを引き取ったことで、孤児院での生活は幕を閉じる。
青年期
最初の殺人
ハンニバルは、高名な画家である叔父ロベール・レクターと、その妻のムラサキ夫人の下で生活を始める。レクター夫妻に依頼されハンニバルの失語症を治療するために門をたたいた医学博士は、ハンニバルに対し
催眠治療を試みるが、催眠はかからず治療は果たせなかった。しかし、博士は治療の過程で、ハンニバルが同時に複数の思考を行う能力を持つ事を見抜く。ロベールはハンニバルにアトリエを与えて絵画を手ほどきし、ムラサキ夫人は日本語和歌など日本文化の素養を身につけさせた。ある日、ハンニバルがムラサキ夫人と市場で買い物をしていた際に、肉屋が夫人に対し野卑な言葉をかけたため、ハンニバルは肉屋に暴行を加えた。この一件を知り叔父も激昂、肉屋を杖で打ちつけている最中に持病の心臓発作を起こし死亡。ハンニバルは報復の為にムラサキ夫人が所有していた日本刀を持ち出し肉屋を殺害、更にその頬を食するが、これがハンニバルにとって最初の殺人になる。この事件を境にハンニバルは失語症から回復するが、同時にパリ市警の警視ポピールがハンニバルの怪物性と、ムラサキ夫人の魅力に注目する契機ともなった。
妹の復讐
叔父亡き後、未亡人となったムラサキと暮らすことになったハンニバルは医科大学へと進み、解剖学を学ぶ。ハンニバルは自身の類まれな才能を遺憾なく発揮し始める。精巧な解剖図によって解剖学教授の信頼を、スケッチを販売することで生計手段を獲得。さらに幼少期に会得した『記憶の宮殿』による記憶術が彼の学習を助けた。ハンニバルは失われた記憶を取り戻すべく、入手した薬物と音楽による自己催眠によって、別荘の惨劇の記憶(の一部)を甦らせ、妹ミーシャを殺害し食した一味達の顔を完全に思い出した。ハンニバルは報復、復讐へと行動を移し、連続殺人を犯す。首謀者の殺害時にミーシャに関する記憶の最後の部分を取り戻し、これが後の人格形成に決定的な影響を与える事となる。事件後、肉屋の殺人事件からハンニバルをマークしていた警察により逮捕、勾留されるが、この連続殺人が「戦争が生んだ悲劇」と大々的に報道され、運よく世間の同情を惹く事ができたハンニバルは釈放。残り一人の行方を追って、フランスを離れ単身アメリカへと渡る(『ハンニバル・ライジング』)。
渡米後
精神科医として連続殺人
成人後
アメリカに渡り医学を修得。しばらくは病院の救急外来嘱託医などをしていたが、1970年ごろに独立、精神科を開業した。その治療手腕は評判となり、多くの有名人や上流階級の人間が患者となった。こういった人種との享楽的な付き合いや非常識ぶりが、彼の眠っていた欲望や凶暴性を目覚めさせたらしく、自分の患者を殺害してはその肉を食うという連続猟奇殺人が始まった(『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル』)。1975年3月22日、患者であったボルティモア・フィルハーモニック・オーケストラのフルート奏者、ベンジャミン・ルネ・ラスペイルを殺害した際には、彼の臓器を調理して、ゲストとして招いたオーケストラの理事たちに振舞った(『レッド・ドラゴン』)。1978年、レクターの「ちょっとした遊び心」が原因となってFBIの捜査顧問であったウィル・グレアムに犯行を突き止められ、グレアムに瀕死の重傷を負わせて逃亡。それからの9日間で更に3人を殺害している(『レッド・ドラゴン』)。
9人殺害犯として逮捕
1979年、ようやく逮捕され9人に対する第一級殺人罪で起訴された。ところが拘置されていた精神病院で、拘束を解かれた一瞬の隙を突いて看護婦に噛み付き、その顎を噛み砕き舌を食いちぎり咀嚼した後、嚥下。あまりの凶暴かつ異常な行動に、裁判所はチェサピーク州立病院ボルティモア精神異常犯罪者診療所への終身拘束を決定。狭い独房に閉じ込められることになったが、料理書からファッション誌まで多数の書籍を購読、最厳重監視病棟の囚人の身ながら、臨床精神病理学会誌や精神医学会誌に論文を発表するなど、世間に影響を与え続けた(『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』)。1981年、グレアムは連続殺人犯フランシス・ダラハイドの捜査協力をレクターに求めてきたが、レクターは逆にダラハイドをけしかけてグレアムと家族を襲わせた。命は助かったものの、グレアムは顔をズタズタに切り刻まれる重傷を負った(『レッド・ドラゴン』)。このように、レクターには「他人を心理的に操作して罪を犯させる驚異的な能力」があるとされる。
バッファロー・ビル事件
1983年、連続誘拐殺人犯ジェイム・ガムによる「バッファロー・ビル事件」に対する捜査協力を求めてきた、当時FBIアカデミーの学生であったクラリス・スターリング捜査官の訪問を受ける。彼女に関心を抱いたレクターは、ガムに娘を誘拐されたマーティン上院議員への情報提供の見返りとして条件の良い特殊監房に移ることになったが、その途上で2人の見張りを殺害して逃亡。バッファロー・ビル事件解決時には南米にまで逃れた(『羊たちの沈黙』)。また目立たなくするためか多指症を手術し、6本目の指を取り除いている。
イタリア
司書・研究者として
1990年、イタリアへと渡ったレクターは、カッポーニ宮の司書を殺害し(失踪扱い)、自分がその席に収まると、ダンテ研究者のフェル博士を名乗り、フィレンツェに居を構える。この時は峻厳をもって鳴る専門家連中を満足させるほどの深い知識を披露したり、カッポーニ宮の蔵書や銀行家の往復書簡を読み漁り、ドゥオーモの修繕や、テルミンを奏でるなど生活を満喫している。前司書の失踪事件を捜査していたリナルド・パッツィ刑事は、彼を連続殺人鬼ハンニバル・レクターではないかと疑い、レクターの元患者で、瀕死の重傷を負わされた資産家メイスン・ヴァージャーが出していた懸賞金目当てに、単独で捜査を開始するも、ヴェッキオ宮殿パッツィの先祖の例に倣い、レクターに絞首により殺害される(『ハンニバル』)。
再びアメリカへ
クラリスの治療
タトゥラー誌で、
クラリス・スターリングがマフィアの女ボスを射殺したことでFBI内から孤立している事を知ったレクターは、スターリングに手紙を送った後、ツアー旅行者に紛れ込み再び渡米する。メイスン・ヴァージャーとの決着をつけるべくアメリカで潜んでいたレクターだったが、スターリングの車に誕生日プレゼントを入れようとしていたところ、張り込んでいたヴァージャー一味に麻酔銃で撃たれ、その場に昏倒、拉致される。レクターを追っていたスターリングからナイフを受け取り窮地を脱するも、今度はスターリングが麻酔銃で負傷、大量の薬物によって意識混濁となったスターリングは、レクターに治療されて一命を取り留める。
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