ハンガリー
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首相オルバーン・ヴィクトル
国会議長クヴェール・ラースロー

面積
総計93,030km2107位
水面積率0.7

人口
総計(2020年966万0000[1]人(93位
人口密度106.7[1]人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2020年)47兆7434億6500万[2]フォリント

GDP(MER
合計(2020年)1550億1300万[2]ドル(54位
1人あたり15,866.216[2]ドル

GDP(PPP
合計(2020年)3228億4600万[2]ドル(58位
1人あたり33,044.637[2]ドル

オーストリア・ハンガリー帝国から独立
ハンガリー王国成立
ソビエト連邦による占領
第三共和国成立1918年10月31日
1920年3月1日
1945年5月8日
1989年10月23日
通貨フォリントHUF
時間帯UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1HU / HUN
ccTLD.hu
国際電話番号36

ハンガリー(ハンガリー語: Magyarorszag)は、中央ヨーロッパ共和制国家。西にオーストリアスロベニア、北にスロバキア、東にウクライナルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペストである。基本的には中欧とされるが、歴史的には東欧に分類されたことがある。

国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる[3]
国名

正式名称はハンガリー語で Magyarorszag [?m???rorsa??] ( 音声ファイル)。カタカナの大まかな発音は「マジャロルサーグ」。通称、Magyar [?m???r] ( 音声ファイル)(マジャル)。

日本語の表記はハンガリーであるが、20世紀中盤まではハンガリアと表記する例も散見された。漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。

ハンガリー語で「ハンガリー」もしくは「ハンガリー人」を指す名詞「Magyar」は、日本の教科書などにおいて「マジャール」と誤ってカタカナ表記されているものが見られるが、どの母音も伸ばさずに「マジャル」と表記・発音するのが正しいカタカナ表記となる。ハンガリー語では長母音の場合は母音字にエーケゼット[注釈 1]をつける規則があるため、そうでない場合は長母音ではない(「Magyar」であって「Magyar」でないため、長母音として発音しないのが正しい)。

歴史上、ハンガリー王国多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。

「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族」ではなく、7世紀のテュルク系オノグル (Onogur) という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャル人7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。「ウンガーン」(: Ungarn)、「ウンガリア」(: Ουγγαρ?α)に見られるように、もともとは語頭のhがなかった。

2012年1月1日より新たな憲法ハンガリー基本法」が施行され、国名が変更された[4]

1920年 - 1946年 ハンガリー王国(Magyar Kiralysag [?m???r ?kir???j?????](マジャル・キラーイシャーグ))

1946年 - 1949年 ハンガリー共和国(Magyar Koztarsasag [?m???r ?kost???r???????](マジャル・ケスタールシャシャーグ)

1949年 - 1989年 ハンガリー人民共和国(Magyar Nepkoztarsasag [?m???r ?ne??pkost???r???????] (マジャル・ネープケスタールシャシャーグ))

1989年 - 2011年 ハンガリー共和国(Magyar Koztarsasag [?m???r ?kost???r???????](マジャル・ケスタールシャシャーグ))

2012年 - ハンガリー(Magyarorszag [?m???rors????](マジャル・オルサーグ))

歴史詳細は「ハンガリーの歴史」を参照

ハンガリーの国土はハンガリー平原といわれる広大な平原を中心としており、古来さまざまな民族が侵入し、定着してきた。

古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族・ダキア人などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中ごろ、属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。

その後、フン族はアッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡したあと、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァールの侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。
ハンガリー王国時代(1000年 - 1918年)12世紀ハンガリー王国

10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年キリスト教に改宗し、西ヨーロッパカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国アールパード朝)を建国した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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