ハンガリー社会党
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10月に行われた統一地方選挙でも首都ブダペスト市長選挙でフィデス候補が社会党候補に大差で圧勝するなど、敗北、選挙後にはスィリ元国会議長が離党、新党「社会同盟」に参加した[7]

11月2日、与党フィデス議員が提出した、左派メディアが支配的な状況を是正しようとする「メディア法」が賛成多数で可決、またフィデスが憲法裁判所の権限を縮小する憲法改正発議を行う意向を示したことに対し、野党市民による抗議集会が行われ、社会党もメシュテルハージ党首やジュルチャーニ元首相らが参加して集会を行った[8]
党分裂

2011年9月に入り、社会党の刷新を要求するジュルチャーニ元首相ら党内会派「民主連合」とメシュテルハージ党首など社会党執行部の対立が表面化した。同月26日に党内会派による会合が持たれ、オルバーン首相政権交代や党内改革など4項目からなる共同宣言に署名したが、民主同盟は署名せず党内対立は解消されなかった[9]

10月22日、ジュルチャーニ元首相ら10名が離党し、新党「民主連合」の結成を表明、11月6日に民主党を改編する形で正式に発足したことで、社会党は分裂した[10]

2013年8月、メシュテルハージーはE2014-PM(「共に2014年」「ハンガリーのための対話」選挙連合)代表であるバイナイ前首相との会談で、翌14年に予定されている総選挙において統一候補を小選挙区で擁立する方針で合意した[11]。そして翌2014年1月にはE2014-PMに加え民主連合や自由党も加えた中道左派連合(首相候補はMSZP党首のメシュテルハージー)を結成することで各党間の合意が成立[12]し、同年4月に行われた総選挙に挑んだが、連合全体で199議席中38議席(小選挙区10+比例代表28)に留まり政権奪回は果たせなかった[13]。総選挙翌月の5月に行われた欧州議会議員選挙では社会党単独で挑んだが、11%の得票に留まって現行の4議席から2議席に減らして極右政党であるヨッビクに次ぐ第三党に後退した。選挙後の5月29日、メシュテルハージーは総選挙と欧州議会議員選挙における敗北の責任を取って党首と国会議員団長の職を辞する意向を表明。翌30日の党会合で7月19日に新党首を選出と新たな党指導部を構成することを決定[14]。7月19日の臨時党会合で党の暫定国会議員団長を務めていたトービアーシュ・ヨージェフを新党首に選出、5月末以降から臨時党首を務めていたボトカ・ラースローは党評議会議長に選出された[15]

2016年6月25日に開催された党大会では、元国会議員でブダペストの第11区長などを務めたモルナール・ジュラが新たに党首に選出された[16]

2018年4月8日に行われた総選挙では、前回より得票数、議席数共に大幅に減らし、ヨッビクに次ぐ議会第三党に後退した。
支持層・政策

社会党は、社会主義時代の旧共産党の政策を支持する労働者層や、体制転換の混乱期に元共産党・政府・国営企業幹部などの地位についていた者が転向し富裕化した経済界幹部、体制転換以降も社会党への強い支持を論調とする元共産党機関紙「人民の自由」紙、元共産党労働組合機関紙「人民の声」紙、ホルン政権下で放映を開始した商業テレビ局などのメディアから強い支持を受けている。

同党への国民の間での支持は、50歳以上の高年齢層、首都ブダペスト市や地方県の政令指定都市で強い。特にボルショド県、ヘヴェシュ県、コマーロム・エステルゴム県、バラニャ県、ソルノク県など、社会主義時代に発展した旧炭鉱都市・重工業地域において強い基盤を有する。

ハンガリー社会党は、労働者・年金生活者・貧困層への配慮を怠らない社会主義・社会民主主義と共に、経済界からの強い支持も反映し、右派政党に対抗し、強力な外資導入・基幹産業民営化などの市場経済化推進を党の政策としている。

ハンガリー社会主義労働者党時代から続く伝統として、党内に複数の派閥の存在が認められており、社会主義、社会民主主義、リベラル社会主義、民族社会主義、改革共産主義など、複数の潮流が存在している。
党首

ニェルシュ・レジェー
(1989年-1990年)

ホルン・ジュラ(1990年-1998年)

コヴァーチ・ラースロー(1998年-2004年)

ヒッレル・イシュトヴァーン(2004年-2007年)

ジュルチャーニ・フェレンツ(2007年-2009年)

レンドヴァイ・イルディコー(2009年-2010年)

メシュテルハージ・アティッラ(2010年-2014年5月)

ボトカ・ラースロー(2014年5月-7月)セゲド市の市長も兼務、7月に新党首が選出されるまでの臨時党首を務めた。

トービアーシュ・ヨージェフ(2014年8月-2016年)党の暫定国会議員団長を務めていた。

モルナール・ジュラ(2016年-2018年)

トート・ベルタラン(2018年-2022年)

クンハルミ・アーグネシュ(2020年-)

コミャーティ・イムレ(2022年-)

2020年以降、共同党首制を採用している。
主要選挙における党勢推移
国民議会選挙

選挙得票数得票率議席数備考
1990年選挙535,06410.89%33 / 386
1994年選挙1,781,50432.99%209 / 386
1998年選挙1,497,23132.92%134 / 386
2002年選挙2,361,99742.05%178 / 386小選挙区においてSZDSZと選挙協力
2006年選挙2,336,70543.21%186 / 386小選挙区においてSZDSZと選挙協力
2010年選挙990,42819.30%59 / 386
2014年選挙1,290,80625.57%38 / 199中道左派の政党連合(他に民主連合やE2014-PMが参加)として選挙に参加
2018年選挙682,70111.91%20 / 199中道左派の政党連合(他にハンガリーのための対話が参加)として選挙に参加

欧州議会選挙

選挙得票数得票率議席数
2004年選挙
1,054,92134.30%9 / 24
2009年選挙503,14017.37%4 / 22


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