ハンガリー人民共和国
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共和国成立に先立って行われた選挙ではソ連軍がハンガリー共産党優位になるようにサポートしたものの[5]、結果は独立小農業者党支持が57%を占め、ハンガリー共産党の得票は17%であった[6]。しかしソ連は独立小農業者党単独政権の発足を許さず、共産党が参加した連立政権を発足させた。ハンガリー共産党員ライク・ラースローは内務大臣となり、ソ連のNKVD(内務人民委員部)を模倣した秘密警察、AVO(ハンガリー国家警察・国家保安部、後にAVH(ハンガリー国家保衛庁))を設立した。共産党書記長ラーコシ・マーチャーシュは、いわゆるサラミ戦術によって他党の勢力を切り崩し、影響力を高めていった。3月には社会民主党・全国農民党労働組合と左派ブロックを形成した[7]

1946年12月、「旧王国ホルティ摂政派将校の秘密組織による陰謀」が発覚したとして、独立小農業者党の幹部が次々と逮捕されはじめた。1947年5月30日には党首で首相のナジ・フェレンツ(英語版)が亡命に追い込まれた[8]ディンニェーシュ・ラヨシュが後継首相となったものの、さらにドビ・イシュトヴァーンら左派が分裂し、小農業者党は零落した。8月4日、大統領ティルディ・ゾルターンは汚職の疑いをかけられて辞任し、共産党の幹部サカシチ・アールパードが大統領となった。共産党は8月31日に行われた選挙によって第一党となった。しかしこの時点でも共産党の得票は全体の22%であり、与党である左派ブロック全体をあわせても61%にとどまった。しかしこの時点で勤労者党の優位は不動のものとなり、事実上の勤労者党による独裁体制が確立された[7]。1948年6月12日、社会民主党は幹部を大量に除名し、ハンガリー勤労者党と改称した共産党に合流した。この時点での勤労者党の党員はハンガリー人口の9分の1である100万人であった[7]

1949年になると、東欧諸国ではヨシフ・スターリンによるヨシップ・ブロズ・チトー批判の影響を受けた「チトー狩り」が始まった。ハンガリーでも書記長ラーコシは政敵をチトー派として粛清していった。9月には党内ナンバー2であったライクも、彼自身が設立したAVOによって逮捕され、10月に処刑された。こうして勤労者党の上層部は「モスクワ帰り」によって占められるようになり、ソ連化が進んでいった[9]
スターリン主義時代(1949年 - 1956年)

1949年8月23日、ハンガリー人民共和国が成立し、ハンガリー人民共和国憲法が制定された。大統領制は廃止され、大統領評議会議長(ハンガリー語版、英語版)が国家元首となった。ラーコシは1952年にドビのあとをうけて首相となるなど、事実上の最高実力者としてハンガリーを支配したが、スタハーノフ運動を模倣した重工業重視の経済再建ははかばかしく進まなかった。1953年3月にスターリンが死亡すると、彼の崇拝者であったラーコシの立場はきわめて微妙なものとなった。6月、ラーコシはモスクワに呼び出され、首相の地位を政治局員ナジ・イムレに譲らされた。ナジは重工業偏重を修正する経済改革を行い、失脚していたカーダール・ヤーノシュ元内相を復権させるなど、ラーコシ時代の政策を修正していった。党幹部やラーコシは反発し、1955年4月にナジを失脚させてラーコシ派のヘゲドゥシュ・アンドラーシュ(英語版)を首相とした。
1956年の革命詳細は「ハンガリー動乱」を参照
カーダール時代

ハンガリー動乱によって体制が動揺した1956年11月カーダール・ヤーノシュによって勤労者党は「ハンガリー社会主義労働者党」として再編成された[10]

社会主義労働者党の書記長となったカーダールはナジ・イムレを死刑にし、一党独裁制を敷きながらも、動乱で国民と政府の間に生じた溝を埋めることに腐心し、「我々の敵でない者は味方である」と述べて政治犯の釈放やローマ教皇庁との和解を進め[11]共産圏の中では比較的穏健な統治を行った。1966年にはニエルシュ・レジエ書記らによって「新経済メカニズム」が導入され、市場経済の一部導入などを進めたほか、同年11月には国民議会選挙の候補者を複数候補制にするなどの政治改革も進められた[12]

これらの改革によってハンガリー経済は発展し、国民の所得も増加したが[13]、1973年にソビエト連邦の圧力によって後退を余儀なくされ、ニエルシュらも解任・左遷された。しかし、その処遇は「プラハの春」後に改革派党員を追放したチェコスロバキア共産党の「正常化」に比べれば穏やかなものであった[14]


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