ハワイ王国
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クリーブランドはハワイで起こった革命を問題視し、調査のためジェイムズ・A・ブラウント大佐をハワイへ派遣し、1893年7月17日に報告書を提出した[3]。国務長官ウォルター・グレシャムはハワイ公使ジョン・スティーブンズの行動について報告を受けており女王復位のための軍事介入も考えていたが、司法長官リチャード・オルニーは議会の同意が得られず政権にも有益でないと反論したため外交的手段を取ることになった[3]

1893年10月18日にクリーブランド政権は女王復位案を確認し、復位実現のために譲れない条件としてリリウオカラニに対して敵対行動に参加した者すべてに完全な大赦を与えるよう求めたが、リリウオカラニは法の拘束があり要請には応えられないと応答した[3]。また暫定政府大統領となっていたドールは内政干渉であるとしてリリウオカラニの復位を拒否した[3]。1893年12月18日、クリーブランド大統領は演説で併合に反対する根拠を述べたが、大赦などの条件が女王に受け入れられないとし、この件を議会の決定に委ねるとした[3]

1894年7月4日、ドールはハワイ共和国の成立を宣言し、同国の最初で最後の大統領となった。

1895年1月に王党派による最後の大規模な武力蜂起が起きたが鎮圧され、1月16日にはリリウオカラニも私邸から大量の武器が発見されたという理由で逮捕され、廃位された。ドールはハワイをアメリカ合衆国に併合する条約を作り、この条約が成立したときハワイ準州の初代知事に任命された。
アメリカ合衆国ハワイ準州

1898年8月12日、時のアメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーはハワイのアメリカ合衆国領への編入を宣言し、同日イオラニ宮殿に掲げられていたハワイ王国国旗が降ろされて星条旗が揚げられた。この時、古来のハワイ住民らは悲しみの声をあげたという。これによりハワイはアメリカ合衆国の準州として編入され、王国の約100年間の歴史は完全に幕を閉じた。
アメリカ合衆国ハワイ州

ハワイは準州となった後も、表向きにはアメリカ合衆国の領土として扱われることはなかったが、名実ともにアメリカ合衆国領へと変貌していった。これは準州知事が設置されていながら、アメリカ合衆国自治領という形がとられたためであった。1959年8月21日には完全なアメリカ合衆国領としてハワイ州が成立し、今ではアメリカ合衆国50番目の州として認知されている。

1993年11月、アメリカ合衆国議会はハワイ併合に至る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合同決議をした[5]。「ハワイ憲法制定会議2008」はウェブサイト(HAWAII - INDEPENDENT & SOVEREIGN[※ 1])を開設している。
政治
国王

カメハメハ1世(初代、在位:1795年 - 1819年

カメハメハ2世(第2代、在位:1819年 - 1824年

カメハメハ3世(第3代、在位:1825年 - 1854年

カメハメハ4世(第4代、在位:1854年 - 1863年

カメハメハ5世(第5代、在位:1863年 - 1872年

ルナリロ(第6代、在位:1873年 - 1874年

カラカウア(第7代、在位:1874年 - 1891年

リリウオカラニ(第8代、在位:1891年 - 1893年

政治体制

ハワイ王国は1840年の憲法制定により、政治的には立憲君主制をとった。この憲法により、ハワイ王国は国王を元首とし、勅選議員からなる上院と直接選挙による民選議員からなる下院とによって構成する二院制議会を置き、大臣を集めた会議を開いて行政を行い、国王の任命する長官を長とする司法府を置いた。地方行政は国王の任命する知事が管轄した。
現王室
カワナナコア王朝

リリウオカラニ女王の統治時代、故兄王の妃カピオラニの妹キノイキの婚先であるカワナナコア家に、カラカウア家に次ぐ王位継承権が付与された。女王の姪であるカイウラニ王女の死去により、カラカウア王家は1899年に断絶した。王国時代に定められた王位継承順位に則り、キノイキの長子カハレポウリが王太子を継いだ。しかし、カハレポウリは1908年に死去したため、後継はカハレポウリの長男カラカウア2世が、女王崩御の1917年に継承した。(名目上の)新国王カラカウア2世は幼君のため、叔父のジョナ・クヒオ・カラニアナオレ が摂政兼家長代行となった。1953年に他界したカラカウア2世には子がなく、姉のカピオラニが家長を継いだ。カピオラニの後は世嗣ケリイアオヌイが家長となった。ケリイアオヌイの嫡男が現当主のクヒオである。なお、居城だったイオラニ宮殿は、カピオラニ女王の姪、ケカウリケ(英語版)を中心にボランティア団体イオラニ宮殿友の会が管理・維持を行なっている。

初代(第9代):カラカウア2世(英語版)(1904年 - 1953年、在位1917年 - 1953年)

第2代(第10代):カピオラニ(英語版)(1903年 - 1961年、在位1953年 - 1961年 女王)

第3代(第11代):ケリイアオヌイ(英語版)(1924年 - 1997年、在位1961年 - 1997年)

第4代(第12代):クヒオ(英語版)(1961年 - 、在位1997年 - )

現家長

旧ハワイ王室は今日もハワイ州民の尊崇を受けている。2020年現在、家長はカピオラニ王女の嫡孫で、元ハワイ州下院議員のクエンティン・クヒオ・カワナナコア(英語版)である。
放送番組

NHKその時歴史が動いた 第260回 幻のハワイ日本連合?カラカウア王・祖国防衛に賭けた生涯?』 2006年8月23日

注釈^HAWAII - INDEPENDENT & SOVEREIGN

出典^ 創文 第 384?405 号 - p17
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 金澤宏明「ハワイ王国の文化と社会-その変遷と多元社会の形成」『文化継承学論集』第2巻、明治大学大学院文学研究科、2006年3月26日、30-39頁。 
^ a b c d e f g h i j k l 山倉明弘「19世紀末のハワイ王国滅亡における人種と帝国―立憲主義的ハワイ人支配の確立―」『天理大学学報』第73巻第2号、天理大学、2022年2月26日、15-43頁。


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