ハロルド・ライミス
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イリノイ州シカゴ出身[2]ワシントン大学卒業[3]。在学時は、マルクス兄弟のパロディ劇の脚本を執筆したことがある[1]

大学卒業後は、セントルイス精神病院で約7か月間勤務。この経験は、後に映画界での様々な感情・性格を持つ俳優との付き合いに大きく活かされたという[4]。その後はシカゴに戻り、臨時教師の職を経て、大学の友人であるマイケル・シャンバーグ(英語版)の勧めでシカゴ・デイリー・ニュース(英語版)の記事をフリーランスで執筆[5]。これがきっかけとなり、男性誌『プレイボーイ』ではジョーク原稿を執筆した[3][4]

1972年、かつて所属していたシカゴのコメディ集団「セカンド・シティ」に戻る。1974年には、同じくセカンド・シティ出身のジョン・ベルーシビル・マーレイらとラジオ番組『ナショナル・ ランプーン・レディオ・アワー(英語版)』で共演し人気となる[1][3]。後に、他のメンバーが『サタデー・ナイト・ライブ」の出演者になる一方で、ライミスはカナダで展開していた深夜枠のコメディ番組『セカンド・シティ・テレビジョン(英語版)』で約3年間、脚本家兼コメディアンとして活躍した[3][6]

1978年、アイバン・ライトマンが製作した『アニマル・ハウス』で脚本を執筆し、ハリウッドに進出。1980年の『ボールズ・ボールズ』で映画監督デビューし、翌年に公開され製作も兼任した『パラダイス・アーミー』で映画に初出演する[3]。1984年、ビル・マーレイダン・エイクロイドと主演を務め、脚本も執筆した『ゴーストバスターズ』が大ヒットを記録し、自身の代表作となった。

その後もコメディ作品を発表し続け、『アナライズ・ミー』で脚本と監督を担当したほか、『恋愛小説家』などに俳優として出演した。

2010年5月、感染症にかかったことで自己免疫疾患が悪化し炎症性血管炎による合併症を引き起こす[7]。一度は復帰したものの、2011年後半から再発し闘病生活を続け、2014年2月24日、自己免疫性炎症性血管炎のため死去[7][8]。69歳没。

ゴーストバスターズ』のリブート作品である『ゴーストバスターズ (2016年の映画)』のエンドクレジットではハロルド・ライミスに捧ぐという一文がある。また、『ゴーストバスターズ』と『ゴーストバスターズ2』の続編である『ゴーストバスターズ/アフターライフ』のエンドクレジット前ではハロルドに捧ぐという一文がある。
主な出演作品
映画

公開年邦題
原題役名備考吹き替え
1978
アニマル・ハウス
National Lampoon's Animal House脚本
1979ミートボール


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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