サウィン祭が死者や祖先崇拝との関連を示す強い証拠はないが[8]、当初5月13日であった万聖節(諸聖人の日)が11月1日に移動したことや、万霊節を11月2日に祝う事としたのは、アイルランドや英国のケルト人の影響とされる[5]。
19世紀になりアイルランドおよびスコットランドから大量に移民がアメリカへ到着し、ハロウィンが本格的に定着しはじめた。[9]。ハロウィンは19世紀半ばまで特定の移民共同体の内でだけの行事として行われていたが、徐々にアメリカの「主流社会」に受け容れられ、アメリカの年鑑に祝祭日として記録された。20世紀初頭には、社会的、人種的、宗教的背景に関係なく、アメリカのほとんどの人々に受け入れられ、東海岸から西海岸へ広まった。1950年代には「トリックかトリートか」(トリック・オア・トリート)の合言葉が製薬会社や映画会社、テレビ局などの仕掛けもあり普及した[10]。そして、世界各国で軍事的・経済的に活動するアメリカ人が増えるのにともない、そうした場所で、アメリカ風のハロウィンの風習も広がることになった。
カナダでは、製菓会社がハロウィン用の宣伝を1860年代から始め、1980年以降には現在のハロウィンと差異はなく、クリスマスの次に大きなイベントになっていった[11]。
ハロウィンの行事
ジャック・オー・ランタンジャック・オー・ランタン詳細は「ジャック・オー・ランタン」および「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」を参照
ジャック・オー・ランタン、あるいは、ジャック・オ・ランタン[12][13](英: Jack-o'-Lantern[注 3][注 4])は、「お化けカボチャ」「カボチャちょうちん」とも言われる。オレンジ色のカボチャをくりぬき、ナイフで目・鼻・口をつけ、内側に火のついたろうそくを立て、ハロウィーンのシンボルとなっている。ハロウィンを祝う家庭では、カボチャを刻んで恐ろしげな顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く。これは「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」を象徴したものである[要出典]。その後、ワシントン・アーヴィングの短編小説「スリーピー・ホロウ」(1820年)において、首なし騎士が主人公イカボッド・クレーンに向けてカボチャを投げつける場面[注 5]が描かれたことがきっかけで、ジャック・オー・ランタンを持った首なし騎士が描かれるようになり、最終的にカボチャのジャック・オー・ランタンがハロウィン及びハロウィーンのシンボルとなった[1]。
いたずらかごちそうかハロウィンに基地を訪問した際に、「Trick or Treat」と言う子供にお菓子をあげるジョージ・W・ブッシュ。
11月2日の万霊節にイングランドにおいては17世紀から19世紀前半にいたるまで、
「魂よ、魂よ、霊魂のケーキを、どうぞやさしい奥様、霊魂のケーキを1つ」
などと歌いながら仮面をつけた子供たちや、大人たちが裕福な家々を巡り歩いてソウルケーキや食糧を得る習わしがあり[5]、特にウェールズと境を接するイングランド諸州に流布していた。これは古い英語でwassailingと呼ばれるクリスマスの時期の酒宴の習慣に似た、ソウリング(Souling)と呼ばれるブリタニアのケルトの風習から発展したものだという[14]。
現代では、英語圏の子供たちが「Trick or Treat」(トリック・オア・トリート)という言葉を唱えながら家々を訪ね、菓子を集めて回る習慣となった[要出典]。
ティーンエイジャーになると、お菓子を集めるよりもむしろ庭木の枝にトイレットペーパーをかけたり家や車に鶏卵を投げつけるといったいたずらをすることがある。それを防止する方法もいろいろ考えられている[15]。
仮装詳細は「ハロウィンの仮装」を参照
ハロウィンで仮装されるものには、アメリカでは基本的には「恐ろしい」と思われているものが選ばれる傾向があり、たとえば幽霊・魔女・コウモリ・悪魔・黒猫・ゴブリン・バンシー・ゾンビなどの民間で伝承されるものや、吸血鬼や狼男・フランケンシュタインのような欧米の怪談や恐怖小説に登場する怪物が含まれる。