二つの終末戦争をハルマゲドンの戦いと、ゴグ・マゴグの戦いについて、前千年王国説では、二つの異なる戦いとし、無千年王国説と後千年王国説 では同一の戦いとする[6]。 岡山英雄は注意すべき点として「獣と地上の王たちとその軍勢」と「キリストとその軍勢」の戦いであること、戦いの武器は、「鋭い剣」、「神のことば」であること、この戦いによって、すべての悪が滅亡するのは目的の一つに過ぎず、キリストの花嫁である教会の結婚こそが重要であるとする[7]。最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。 ? ヨハネの黙示録21章9節(口語訳) 尾山令仁は、悪霊の支配下にある地上の支配者たちとの軍勢と、主の軍勢との戦いであるので、この世のいかなる戦争とも異なる戦いであり、メギドの丘で行われるわけではなく、悪とその勢力が滅ぼされるキリスト勝利の戦いであるとする[8]。 奥山実はハルとメギドという二つの言葉からできているこの語は「虐殺の丘」を意味し、竜であるサタンと獣である独裁者と偽預言者からの悪霊に集められた者が、主の軍勢と戦い、子羊の軍勢が勝利すると説明する[9]。 ウィリアム・ヘンドリクセンは、反キリストのリーダーシップのもとに、汚れた者たちが教会に恐ろしい迫害を加える時がハルマゲドンであると教える。ヘンドリクセンによれば、反キリストは目的をとげられず、邪悪な者たちの軍勢に神の怒りが注がれ、悪魔が「火と硫黄の池に投げ込まれ」るという。[10] ハルマゲドンの後に起こることについては、教派によって解釈が異なる。ハルマゲドンは最後の審判と直接の関係はないが、キリスト教の教理では、最後の審判の後に、キリスト者にとって天国に行く喜びのときだが、不信者は地獄に落ちるとされる[11]。「怒れる神の御手の中にある罪人」も参照しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 ? ヨハネの黙示録21章8節(口語訳) 比較宗教学によれば、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。 歴史上、ハルマゲドンを含む終末思想は、しばしばカルトの信者獲得や教祖の自己実現に利用されやすく、アメリカ合衆国でのブランチ・ダビディアンによる事件や、日本での地下鉄サリン事件など、オウム真理教による一連の事件などドゥームズデー・カルトを引き起こすことが少なからずあった。レヴィアタンによる破壊、 ギュスターヴ・ドレの挿絵(1865) SF小説・SFアニメ・SF映画などサイエンス・フィクション作品、特に終末ものにもこの構図は使われつづけている。 五島勉の著書による『ノストラダムスの大予言』本がブームになり、オウム真理教が、教義においてハルマゲドンの到来を主張し、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件以降、ワイドショーで度々報じられ、幅広い年代にまで「誤ったハルマゲドン」が広く知られるようになった。
注意すべき点
キリストの勝利
教会への迫害
その後
比較宗教学メギド遺跡
カルトとの関係
現代の文化との関わり
関連作品
漫画
『デビルマン』
日本では、1972年(昭和47年)に連載の始まった永井豪の漫画。ハルマゲドンを扱っていたものの、当時はこの言葉の意味を知る人は少なかったようである(永井談)。
アニメ・映画
『幻魔大戦』
1983年(昭和58年)に公開された、角川春樹制作のアニメ映画。「ハルマゲドン接近」というキャッチコピーがテレビや雑誌で多用され、キリスト教信者でない日本の若者にもこの単語が普及する。
『アルマゲドン』
1998年に公開された映画。20世紀末に地球の大気圏を流星雨が突破して地球環境が致命的な打撃を受ける恐れが判明する。被害が生じる前に宇宙飛行士らが決死の覚悟で厳しい任務に当たるストーリー。善と悪の決戦を描いたものではない。
脚注[脚注の使い方]^ 土井かおる『よくわかるキリスト教』PHP研究所、2004年、p.27
^ 小友 2020, p. 106.
^ a b c 小友 2020, p. 107.
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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