ハルツブルク戦線
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フーゲンベルクは、ハルツブルクでの会合を、自らの指導の下で右派勢力を糾合し、翌年の大統領選挙への右派統一候補擁立と、その候補への同意を取り付ける場とするつもりであった。しかし、右派という以外は思惑もイデオロギーも異なる勢力を集めた会合で、そういった統一行動の合意が取れるはずもなかった。会合前日の夕方、ヒトラーは初めてヒンデンブルクと引見したが、これは相互に悪印象を与えるだけに終わった。続いてブリューニングとも会談したが決裂し、政府への一切の協力を拒否した。その夜、自らは政府に打撃を与え得る立場にあるという確信を持ってバート・ハルツブルクに向かった。ナチ党はフーゲンベルクらに不信と軽蔑の眼を向け、ナチ党の行動の独立性を損なうような合意を避けることを決めた。ナチ党はこの時点で既に、権力は自らの思い通りの条件で、指導者として奪取することを決定しており、ヒトラーは会合の最後まで誰かに同調することはなかった。結局、この会合で明らかになったのは、参加者にはブリューニング内閣とオットー・ブラウン率いるプロイセン自由州政府に対する敵意以外に共通項がないことだけだった。
余波

10月16日にハルツブルク戦線が合同で国会に提出したブリューニング内閣の不信任決議案の動議は失敗に終わった。一方、左派勢力の側ではハルツブルク戦線に対抗するため、国旗団社会民主党 (SPD) および自由労働組合が1931年12月16日に鉄の同盟を結成した。しかし、結局はハルツブルク戦線はナチ党の強硬姿勢やフーゲンベルクが呼び込んだ諸党派の政治的目標およびイデオロギーの相違などから、ヴァイマル共和制に対して右派勢力として統一された反対姿勢を示すことができなかった。早くも1932年2月にはナチ党と国家人民党、鉄兜団との関係が決裂し、ヒトラーはフーゲンベルクを「社会的反動政策」を追求していると非難して独自路線に回帰した。この結果、ナチ党は1932年ドイツ大統領選挙にヒトラーを擁立した。一方、フーゲンベルクと彼に同調する保守勢力は第1回投票でテオドール・デュスターベルクを、第2回投票では現職のパウル・フォン・ヒンデンブルクを支持した[3]

しかし、ブリューニング内閣が同年5月についに崩壊し、ヒンデンブルクが中央党のフランツ・フォン・パーペンに組閣を命じると両者は再び接近し、1933年1月30日にナチ党・国家人民党・鉄兜団の3党連立ナチ党の権力掌握の重要ステップであるヒトラー内閣が誕生した。ヒトラーは単なる議会第一党ではなく単独過半数を確保すべくフーゲンベルクらの反対を押し切って同年3月に国会選挙に打って出た。これに対して2月11日に国家人民党は鉄兜団および全国農村連盟と合同して選挙連合「戦線 黒白赤」(Kampffront Schwarz-Weis-Rot、ドイツ帝国国旗の色を示す) を結成した。ここにようやく全ての右派勢力が実現したが、あまりに遅きに失していた。この選挙後にはヒトラーが全権委任法により権力を完全に掌握し、すべての政党が強制的同一化によって解体されてしまった。
出典^ Reagin, Nancy R. (2007). Sweeping the German Nation: Domesticity and National Identity in Germany Germany, 1870?1945. Cambridge University Press. p. 106 
^ Urbach, Karina (2015). v. Oxford University Press. p. 177 
^ Larry Eugene Jones, "The Harzburg Rally of October 1931" in German Studies Review XXIX (3), 483-494

関連書籍

Evans, Richard J., The Coming of the Third Reich (2003) Allen Lane; London

Jones, Larry Eugene
. “The Harzburg Rally of October 1931”. German Studies Review XXIX (3): 483?494. 

Mommsen, Hans, The Rise and Fall of Weimar Democracy (1989) University of North Carolina Press; Chapel Hill


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