イクター制は、地方政権が各地で自立を強め国家財政が厳しさを増し、官僚機構を通じて税を徴収して厳密な予算編成をおこなったうえで軍人に現金俸給(アター)を支給することが困難になったために採用されたものであり、大アミールやスルタンは、配下の軍人や兵士に生活の基盤となるイクターを授けたので、この授与を通じて国家秩序が形成された。
イクターの保有者(ムクター)は、土地を所有する権限そのものはなかったものの、イクターのなかの農民や都市民から、自らの取得分として土地税であるハラージュや商品税としてのウシュルなどを徴収する権利だけが与えられたのであり、ムクターはイクター収入を用いて兵士を養い、戦時にはこれらの従者を率いて参戦することを義務づけられたので、高齢者や不具になった者はこれを返還しなければならなかったし、スルタンの不興をかったためにイクターを没収されることもあった[14]。
セルジューク朝下のイクター制によってハラージュ徴収権の世襲化が進行し、これはトルコ人によるイスラーム封建制の基盤となっていった。 現代においては、イスラームを信奉する各国においてもシャリーアにもとづく税制は採用されておらず、他の諸国家同様、世俗法で定められた各種の税を徴収している。
現代
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 羽田(1953)
^ a b c 後藤明(1994)
^ a b c d e f 嶋田(1988)
^ a b c d e f g h 前嶋(1960)
^ 蒲生(1958)p.78
^ 家畜は、その種類によって税率が違ったが、ナツメヤシには収穫の10パーセントが課された。イスラム事典データベース
^ それゆえ、土地税と人頭税とを区別する必要のある場合は、土地税を「土地のジズヤ」、人頭税を「首のハラージュ」と呼ぶ用例が生まれた。イスラム事典データベース「ジズヤ」(嶋田嚢平)
^ a b c 嶋田(1978)
^ a b c 『東洋史辞典』(1961)
^ a b 後藤晃(1975)
^ a b c 嶋田(1994)
^ ファイとは、シャリーアにおける戦利品とくに不動産の戦利品を意味しており、国家的土地所有の考え方の根底には、戦利品は本来ムスリム全体の利益に供するべきだというファイ理論がある。イスラム事典データベース「ファイ」(嶋田嚢平)
^ 岩波書店『世界史史料(2)」(2009)p.164
^ a b 佐藤(2005)p.46-47
参考文献
羽田明『京大東洋史(下) 西アジア・インド史』創元社、1953年。
蒲生礼一『イスラーム』岩波書店<岩波新書>、1958年。ISBN 4-00-412164-7
前嶋信次『西アジア史』山川出版社<世界各国史>、1960年。
京都大学文学部東洋史研究所「ハラージュ」『改訂増補 東洋史辞典』創元新社、1961年。
後藤晃「ハラージュ」相賀徹夫編『万有百科大事典 9 世界歴史』小学館、1975年。
嶋田襄平「ウマイヤ朝とダマスクス」前嶋信次・石井昭編『世界の文化史蹟第10巻 イスラムの世界』講談社、1978年。
嶋田襄平「ハラージュ」『世界大百科事典 第23(ハマ??ヒニ)』平凡社、1988年。