ハプログループR1b_(Y染色体)
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インド・ヨーロッパ語族#系統樹と年代と照らし合わせると、サテム語に属すバルト・スラブ語派アルバニア語インド・イラン語派を除き、言語系統樹と遺伝子の系統樹がほぼ一致している。印欧語族の拡散
その他

インド・ヨーロッパ語族に属する諸言語話者の拡散はハプログループR1b (Y染色体)および
ハプログループR1a[19] [20] に対応する。R1bはヨーロッパ西部に高頻度であり、R1a系統はインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに高頻度に分布している。R1bはケントゥム語、R1aはサテム語の担い手である[9]。印欧祖語が話されたヤムナ文化の人骨からはハプログループR1b (Y染色体)が91.5%の高頻度で検出されているが、R1aは検出されていない[21]。そのため、元来の印欧語族話者はR1bであり、ある時点でR1a集団が印欧語に言語交替を起したものと考えられ、その際にR1a集団の基層言語の特徴がサテム語の特徴として受け継がれたものと思われる。

ハプログループR1bの分布は赤毛と相関しており、赤毛遺伝子の担い手である[22]

R-V88は7000年前にレバントから移動を開始しエジプトスーダンを経てチャド湖平原に到達したと考えられる[23]。途中でアフロ・アジア語族チャド語派言語交換した。この移動に伴って、オリエントからの農耕技術を、カメルーン付近の原バンツー族にもたらし、その後のバンツー系民族の拡散の引き金となったと考えられる。

バスク人は非印欧語を話すにもかかわらず、印欧語系R1bが高頻度である。その理由として、印欧語を話す男系征服者集団が原住バスク人女性に多くの子を生ませたが、その子供は父親の印欧語ではなく母親のバスク語で育てられたため、父系のみR1bの印欧系ながら、言語はバスク語を保ったということが考えられる[9]。あるいはバスク人は小サイズ集団のため遺伝的浮動を経ており、高頻度のR1bは瓶首効果による可能性もある。

ツタンカーメンはハプログループR-M269に属す。これはヨーロッパに分布し、現在のエジプト人にはほとんど見られないタイプである[24][25]

アメリカ先住民(特にアルギック系民族)でみられるハプログループR1は多くがR1bである。その起源については判然としないが、有史以前(コロンブスがアメリカ大陸に到達する1492年より前)のある時期にヨーロッパ方面からの直接渡来が存在した可能性がある。11世紀ごろ、バスク人の漁師たちがクジラを追ってニューファンドランド沖、セントローレンス川の河口に至った時、タラの豊富な漁場を発見した。しかし、その秘密は他国の漁師に漁場を知られないよう保持されていた。16世紀にジャック・カルティエの探検隊がセントローレンス川を発見した時、そこではバスク人の漁船団が漁をしていたという[26]。このような事例を検討すると、有史以前に西ヨーロッパの住民(バスク人など)の一部が北アメリカへ移住していても不思議ではない。


ヒトY染色体ハプログループ系統樹
Y染色体アダム (Y-MRCA)
A0A1
A1aA1b
A1b1BT
BCT
DECF
DECF
GHIJK
IJK


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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