デルタ航空は過去に北米から成田経由でアジアへ飛ぶ便が数多くあり、2008年2月現在のダイヤで見ると、13:55にホノルルから到着するNW9便を皮切りに15:55にデトロイトからNW11便、16:05にポートランドからNW5便と、19:30のサイパン発NW75便まで約15便が到着するというスケジュールであった。一方、17:25発の釜山行きNW29便を皮切りに広州、香港、北京、上海、マニラなどアジア各都市へ約2時間から3時間後に出発していくため、北米 - アジア間の接続が確立していた。これがハブ空港の本来の姿である。なお、デルタ航空は羽田空港発着枠拡大や他国のアジアのハブ空港の増強に伴い、2020年3月28日を最後に成田空港から撤退している。
また、これらの乗り継ぎは同一航空会社によって行われなければならない点、および特定の航空会社がその空港を拠点として利用している点も、厳密なハブ空港の要素の一つである。例えば、ロサンゼルス国際空港は発着便数も多く、空港の規模も大きい。さらに乗り継ぎの利便性も高い。しかし、主要な運航の拠点としている航空会社が存在しないため、ロサンゼルス国際空港は、拠点空港ではあっても、厳密にはハブ空港ではない[14]。 この条件を厳密に満たしている空港・航空会社の組み合わせとなると、世界的には多くなく、アメリカ合衆国においてさえもアトランタ(デルタ航空)やシカゴ(ユナイテッド航空)など数えるほどしかない。 アメリカの他には、香港(キャセイパシフィック航空と香港航空)、ソウル/仁川(大韓航空とアシアナ航空)、マニラ(フィリピン航空)、バンコク/スワンナプーム(タイ国際航空)、シンガポール(シンガポール航空)、ドバイ(エミレーツ航空)、フランクフルト(ルフトハンザドイツ航空)、モスクワ/シェレメーチエヴォ(アエロフロート・ロシア航空)などである。 また、日本には、この意味でのハブ空港は成田国際空港(ユナイテッド航空)[11][15]、および関西国際空港(春秋航空)が存在する。 拠点空港都市とは、英語の「ゲートウェイ都市 (gateway city)」に相当し、ある特定の広域地域の要として機能し、その地域への表玄関となる空港を持つ都市を指す。 ロサンゼルス国際空港には、全米各都市からの航空便のみならず、隣国のカナダやメキシコからの便、そして北太平洋路線に就航するアジア諸国からの便や、南太平洋路線に就航するオセアニア諸国からの便が多く発着する拠点空港である。そのため、同空港は、単にロサンゼルス市の空の玄関口という機能以上に、アメリカ西海岸の表玄関としての性格を有している。ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港やロンドン・ヒースロー空港も、同様に各広域地域における表玄関としての性格を持ち合わせている。 拠点空港都市の地位は、ある空港が当該の広域地域でどの程度要としての機能を果たしているかによって、自然に決定する。 東アジアの拠点空港都市を例にとると、千葉県成田市の成田国際空港は1978年の開港以来、アジア諸国、北米諸国および太平洋を結ぶ航空便の多くが発着する拠点都市として機能してきた。近年、長大な滑走路を複数備えた香港国際空港(1998年開港)と仁川国際空港(2001年開港)が次々と運用を開始している。また、日本では成田国際空港についで大阪府泉南郡田尻町の関西国際空港がアジア諸国および太平洋を結ぶ拠点空港として機能している。なお、成田国際空港は、2本目の滑走路の建造(2002年)およびその延伸(2009年)などを行い、空港能力の引き上げを図っている[16]。 同様の例は、西ヨーロッパにおけるパリ=シャルル・ド・ゴール空港、アムステルダム・スキポール空港、フランクフルト空港の間にも見られる。拠点空港都市の地位を巡るこうした競争は、各国に巨額の財政的負担をもたらす一方で、結果的には空港設備と広域航空網のより一層の拡充をもたらすものとなっている。 ロシアのモスクワではシェレメーチエヴォ国際空港とドモジェドヴォ空港との間で異なるアライアンス同士の競争が激化している。
ハブ空港の具体例
拠点空港都市ロンドンのヒースロー空港は、ブリティッシュ・エアウェイズのハブ空港となっている。
脚注^ デジタル大辞泉/大辞林/精選版日本国語大辞典. “ハブ空港
^ a b 花岡伸也 (2010年12月26日). “ ⇒ハブ空港には種類がある”. アゴラ. 2019年10月10日閲覧。
^ a b 花岡伸也. “アジアの国際ハブ空港” (PDF). 帝国書院. 2017年3月28日閲覧。
^ a b 謎解きゼミナール 2013.
^ 唐津 2011, p. 79.
^ 唐津 2011, pp. 79?80.
^ 唐津 2011, pp. 80?81.
^ 杉浦 1999, p. 52.
^ 日本大百科全書. “ハブ空港”. コトバンク. 2019年10月10日閲覧。
^ 唐津 2011, p. 80.
^ a b c 杉浦 1999, p. 53.