その後はロシアの極東進出の拠点となり、1916年にはアムール川を渡る鉄橋(アムール川鉄橋、現在のハバロフスク橋)が完成して、シベリア鉄道が全線開通した(それまでは清国内を通る東清鉄道が極東の幹線だった)。1917年にロシア革命が起こると、極東地域は反革命軍が制圧し、1918年にはシベリア出兵により日本軍がハバロフスクを占領した。その後、1920年に日本軍は撤退して極東共和国が成立し、1922年に日本軍がシベリア出兵を終了すると、ハバロフスクはソビエト政権の支配下に入った。ハバロフスク橋
ソビエトもロシア帝国と同様にハバロフスクを極東開発の拠点として重視し、機械工業や金属工業などの重工業や、シベリアの豊かな森林資源を利用した木材業などの工業建設を進めた。また、極東では数少ない外国人開放都市と指定され、シベリア鉄道を利用する旅客や貨物の重要な拠点となった。その後、ペレストロイカによりウラジオストクなどが開放されても、経済や行政の中心地としての地位は維持した。
2000年にウラジーミル・プーチン大統領がロシア全土を7地区に分けた連邦管区制を導入すると、ハバロフスクは極東連邦管区の本部が設置され、名実ともに「ロシア極東部の首都」となっていたが、2018年12月にプーチン大統領が極東連邦管区の本部をウラジオストクに移転することを決定する大統領令に署名した。 東のシベリア鉄道から西のアムール川にまたがる旧市街、郊外、近距離地帯には観光地も多い[3][4]。レーニン広場から見たムラヴィヨフ・アムールスキー通り。旧ドゥーマ(議会)ビルや生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー聖堂)などが建つハバロフスク市の旧ドゥーマ(議会)ビル。1907年から1909年にかけて建てられた極東美術館ハバロフスク救世主顕栄大聖堂(スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂)
交通ハバロフスクI駅
市の中心部分(旧市街)はウスリー川がアムール川に合流するところの右岸(東側)にあり、市内はバス、路面電車(ハバロフスク市電)、タクシーなどが利用できる。市街地からアムール川を渡る橋はないが、北西郊外にハバロフスク橋がある。
主要道路はシベリア横断道路、鉄道はシベリア横断鉄道(ハバロフスクI駅)およびヴォロチャーエフカ・ジョムギ鉄道がある。また、アムール川とウスリー川の舟運も利用できる。
街の北東郊外にはハバロフスク空港があり、ロシア極東連邦管区の主要空港である。以前はダリアビア航空がここを本拠地としていたがいまはこの航空会社はなく、ハバロフスク?新潟(2010年春から成田も開始)路線などをウラジオストク航空に引き継ぎ、現在はサハリン航空と合併したオーロラ航空となっている。現在、日本線を運航しているのはS7航空である。2010年より、サハリン航空が札幌との間に直行便を運航開始したが、運休となった。なお、空港と市内の間にはトロリーバスが運行されている。
観光地
旧市街
ムラヴィヨフ・アムールスキー