なお、どの君主も例外なくドイツの小領邦から王妃や王配を迎えている。これは1701年王位継承法の規定によりカトリック教徒との結婚ができなかったこと、またドイツ諸侯としてのハノーヴァー家の家法により貴賤結婚ができなかった(領邦の規模にかかわらずドイツの領主は同格であると見なされたが、一方でイギリス国王の臣下の貴族などは婚姻対象にならない)ことによる。そうした事情もあって、宮廷にはドイツ系の人物が多かったと言われる。また同じ事情で、フランスやスペイン、ポルトガルなどカトリック教国の王家との婚姻関係はこの時代にほとんど絶たれた[1]。なお、ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの男系子孫は貴賎結婚をしたケンブリッジ公ジョージを除けば、現在ブラウンシュヴァイク公エルンスト・アウグストの子孫に限られる。 ヴィルヘルム
系図
リューネブルク侯
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家 ゲオルク
ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公 ステュアート朝より王統移動
エルンスト・アウグスト
ハノーファー選帝侯 ゾフィー
ジョージ1世
英国王
ハノーファー選帝侯 マクシミリアン・ヴィルヘルム
神聖ローマ帝国元帥 ゾフィー・シャルロッテ
プロイセン王妃 エルンスト・アウグスト
ヨーク公
ジョージ2世
英国王
ハノーファー選帝侯 ゾフィー・ドロテア
プロイセン王妃
フレデリック・ルイス
英国王太子
ウェールズ大公 アン
オランダ総督妃 ウィリアム・オーガスタス
カンバーランド公 メアリー
ヘッセン=カッセル方伯妃 ルイーズ
デンマーク=ノルウェー王妃
オーガスタ
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公妃 ジョージ3世
英国王
ハノーファー王 エドワード・オーガスタス
ヨーク・オールバニ公 ウィリアム・ヘンリー
グロスター・エディンバラ公 ヘンリー・フレデリック
カンバーランド公 キャロライン・マティルダ
デンマーク=ノルウェー王妃