ハナミズキ
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花びらに見える総苞片は4枚で、先端部はくぼんでおり[11][12][13]、白花の先端には紅色が差してポイントになっている[14]。実際の花は、4弁の直径5ミリメートル (mm) 程度の目立たない花が20個ほど集合して[15]、順次開花する。咲き始めごろは行灯のような愛らしい形をしている[12]。総苞片はカラカラに乾燥してから散り、地上に落ちてもしばらくの間は色褪せずに残っている[12]

果期は9 - 10月[12]。果実は核果で、枝の先に数個ずつ集まってつき[11]、長さ1 cmほどの楕円形や卵球形をしており[16][10]、秋になると赤色に熟して、落葉後も枝先に残っている[4]

枝先につく冬芽は、一年枝を含めてごく短い白色に伏毛に覆われていて、粉が吹いたように見える[10]葉芽は細長い円錐形で、赤褐色の芽鱗2枚に包まれている[16]花芽はやや偏平な球形で大きく、全体に白っぽくて、擬宝珠のような形にも見える[10]。花芽は花序の柄が少し伸びて、基部に残されるように内外2対の芽鱗がある[16]。花芽そのものは総苞片が保護する形となっており、その中に多数の花蕾が入っている[16][10]。葉痕は半円形から三日月形で、維管束痕が3個つく[10]

樹皮



花(白い総苞

実際の花(花序

紅葉と赤い果実

種子

人間との関わりのハナミズキ。紅葉が始まっている。

春の芽吹きと同時に咲く花が愛でられ、庭木や公園樹のほか、街路樹として利用される[4][10]栽培する際には、うどんこ病などに注意する。また、アメリカシロヒトリの食害にも遭いやすい。ハナミズキの深刻な病害であるハナミズキ炭疽病の感染地域では、感染によってハナミズキの街路樹が枯死すると、ハナミズキ炭疽病に抵抗性があるヤマボウシまたはハナミズキのヤマボウシ交配品種に植え替える病害対策が行われることがある。
日本における植栽

日本における植栽は、明治時代末期の1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.サクラソメイヨシノ)を贈った際、大正時代初期の1915年にその返礼としてワシントン市から東京市に贈呈されたのが始まりである[16][12][注 1]。贈られたハナミズキは全部で60本で、うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本で、日比谷公園小石川植物園などに植えられた[17]。原木は第二次世界大戦中にほとんどが伐採されるなどして、戦後小石川植物園で切株が発見されて、その標本が憲政記念館に展示されており[12][18]、原木は現在東京都立園芸高等学校にしか残っていない[19]。なお、2012年にサクラの寄贈100周年を記念して再びハナミズキを米国日本に送る計画が行われて、最初の100本が東京都代々木公園に植樹され、その後3年間続く予定[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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