ハッジ
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巡礼のルート

タワーフ、サーイ、サファーとマルワの丘

ミナ

ムズダリファ

15世紀のハッジの証明書

ハッジの類型

シャーフィイーマーリクハンバルハナフィーといったイスラーム法学(マズハブ#スンナ派の四大法学派も参照)によると、ハッジには3つの類型がある。

ウムラの儀式を演じた後で、前述したハッジの儀式を行う「ハッジ・アル・タマトゥ」

ハッジの儀式を最初に執り行った後で、ウムラの儀式のためにイフラームを身に纏う「ハッジ・アル・イフラド」

ハッジ及びウムラの間イフラームを身に纏う「ハッジ・アル・キーラン」

イマミーヤー学派は、ハッジを第1の類型と考えてはいるが、後2者も同一視している。
ハッジの影響ハッジの絵を描いたエジプトの家

巡礼を終えた者は、男性はハッジー、女性はハッジャの尊称を付けて呼ばれ、尊重される。これはハッジを向かう動機付けにもなる。ただ、その名前は、宗教的な土台が必ずしもあるわけではない。エジプトでは、ハッジを済ませた者の家の壁に、ハッジにまつわる絵を描く習慣がある。

イスラム導師によれば、ハッジとは神への奉仕の表現であり、社会的な立場を獲得する意味はない。タルビヤを祈ったものには、その心が反映されるのである。信者は、巡礼を行うことで自らの動機を自覚し、その成就のために自己改革を常に希求することになる。
精神的側面

ハッジを達成した巡礼者は、物理的な苦難を伴いながらも、自らの人生の中でも最も精神的な経験をしたと考える。多くのムスリムが、ハッジをもっとも偉大な達成とみなす。なぜなら、彼らの周りにいる人々にも「ハッジを完遂する」という唯一の目標を提供し、焦点に当てさせるからである。

ムスリムにとって、ハッジの儀式は、深い心理的な意義を持っていると考えられる。普段は、巡礼を行うことは、深遠なる経験と同じ意味を持つ。宗教の教えに従って人生を営み、精神面でも、適切な状況であるのであれば、巡礼という行為は、精神的にも個人を変革しうるのである。

少なくとも人生の一度は、ムスリムは巡礼という行為を求められる。敬虔なイスラム教徒の人生は、全ての人生は巡礼であるという精神的な目標によって方向付けられる。
制限

かつては距離や経済的な問題などで、メッカから遠く離れた地に住むムスリムは、一部の富裕層を除いて巡礼など夢のまた夢であった。しかし、近年になって交通網が発達し、経済成長を遂げた国では、一般市民の所得でもハッジが可能となってきた。あまりにも渡航希望者が多くなりすぎたため、例えばインドネシアではメッカ巡礼者の数を制限している。年20万人は許可されるが、それを遥かに上回る人数が渡航希望を出すため、希望を出してからも10年以上は待つことになるという[2]
感染症

世界各地から不特定多数が集まるため、感染症の流行が起こりやすい[3]。特に髄膜炎菌感染症が問題視されており、参加者は髄膜炎菌ワクチンの接収証明が必須となった[3][4]
ハッジ中の事故・事件

ハッジの間には、数百人もの人々の命を落とす多くの事故や事件が起こる。最悪な事件は、大多数の人間が、ジャムラの周りに集まり投石を行っている際に起こっている(ジャマラート橋を参照)。2006年1月12日に起きたときは、350人の人々が亡くなった。また、多くの人々が狭い区画の中にいる時には、将棋倒しが起こることも多い。
将棋倒し


1990年7月2日:Al-Ma'aisimトンネルで将棋倒しが発生、巡礼者1,426人死亡[5][6]

1994年5月23日:儀式での投石中に将棋倒しで、270人が死亡

1998年4月9日:ジャマラート橋で事故が発生118人圧死、180人が負傷[7]

2001年5月5日:儀式での投石中の将棋倒しで、35人が死亡[8]

2003年2月11日:儀式での投石中の将棋倒しで、14人が死亡[9]

2004年2月1日:儀式での投石中の将棋倒しで、251人が死亡、244人が負傷[10]

2006年1月12日:儀式での投石中の将棋倒しで、少なくとも346人が死亡し、289人以上が負傷

2015年9月24日:ジャマラート橋に別方向から来た2つの大グループが殺到し将棋倒しが発生、少なくとも2,181人が死亡[11]2015年メナー群衆事故

火事


1975年12月:可燃性ガス缶が原因でテントが燃え、200人の巡礼者が死亡[12]

1997年4月15日:テントが燃え、343人死亡、1,500人負傷[13](現在はテントを耐火性に変更)

2011年11月1日:2台のバスが移動中、先頭のバスから煙が出ているのを発見。無線で停止と避難を呼びかけたが、夫婦2人が3回の爆発に巻き込まれ死亡

暴動・テロ


1987年7月31日:イラン人巡礼団の反米デモ隊が、サウジアラビアの警官隊と衝突し、少なくとも400人が死亡、1,000人以上負傷

1989年7月9日:2個の爆弾が爆発し、1人死亡、16人が負傷。当初イランの工作員の犯行とみられていたが、クウェートシーア派イスラム教徒16名を処刑した。

航空事故


1973年1月22日:ロイヤル・ヨルダン航空ボーイング707ナイジェリアカノで墜落し、メッカから戻る予定だった巡礼者176人が死亡した。

1974年12月4日:マーティンエアー138便がスリランカコロンボ近郊に墜落した。この事故でインドネシア人の巡礼者182人と搭乗員9人が死亡した。

1978年11月15日:アイスランディック航空001便墜落事故によって、183人が死亡


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