アフガニスタン南部カンダハール州のShahWalikot郡[5]またはPanjwayi郡で誕生した。出生年は国連の推定によると1945-1950年あるいは1955-1958年であるが[6]、正確な記録はない。
1979年から始まったソ連のアフガニスタン侵攻までアフガニスタン各地で神学教育を受けていた[7]。
1996年、カーブルを制圧したターリバーンはアフガニスタン・イスラム首長国(タリバン政権)を樹立し、副首相代行に任命された[8]。
2001年、ターリバーン政権が米国主導の軍事侵攻で崩壊してからは、ラーバリシューラあるいはクエッタシューラと呼ばれるターリバーン指導部で指導的役割を果たした[8]。
2021年9月7日、アクンザダ師により、ターリバーンの暫定政権において首相に任命された。
2023年5月、体調の悪化により故郷カンダハールに戻り職務から離れた[9]。同年7月17日、治療を終えてカーブルに戻り首相に復帰した[10]。
脚注^ “タリバンが暫定政府、「首相」にアフンド師任命…最高指導者アクンザダ師は閣僚入りせず : 国際 : ニュース
最高指導者
(アミール・アル=ムウミニーン)
ムハンマド・オマル †
アフタル・ムハンマド・マンスール †
ハイバトゥラー・アクンザダ
主要幹部
ムハンマド・ラッバーニー(英語版) †
アブドゥル・カビール(英語版)
タヤブ・アガ(英語版)
アブドゥル・ガニ・バラダル
シャハーブッディーン・デラワル(英語版)
アブドゥル・ハキム・イシャクザイ
ハッサン・アフンド
アミール・ハーン・ムッタキー
ワキール・アフマド・ムタワッキル(英語版)
ウバイドゥッラー・アフンド(英語版) †
カリ・アフマドゥッラー(英語版) ‡
シェール・モハンマド・アッバス・スタネクザイ
ハリル・ハッカーニ
シラジュディン・ハッカーニ
ムハンマド・ヤクーブ
ダドゥッラー(英語版) †
シャーフザーダ(英語版) †
アブドゥル・カイユム・ザキール(英語版)
アフガニスタン・イスラム首長国
(ターリバーン政権)
歴史(英語版)
閣僚
勧善懲悪省
プロパガンダ(英語版)
ジルガ(英語版)
国旗
国章
標語
人権問題
バーミヤン大仏の破壊
女性の扱い(英語版)
2021年抗議運動(英語版)
戦争犯罪(英語版)
軍事
アフガニスタン・イスラム国防軍
陸軍
空軍
第55アラブ旅団(英語版)
赤い部隊
バドリ第313大隊
徴兵制度(英語版)
参加した主な戦闘
アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
カーブル失陥
ターリバーン反乱(英語版)
2021年攻勢
カーブル攻略
パンジシール紛争
ISIL・ターリバーン紛争(英語版)
ワジリスタン紛争
関連組織
ハッカーニ・ネットワーク
パキスタン・ターリバーン運動
ISIL(イスラム国)
ホラサン州
アルカーイダ
軍統合情報局
カタール事務所(英語版)
関連項目
クエッタ・シューラ
グアンタナモ湾収容キャンプに収容されたターリバーンの人物一覧(英語版)
イスラム国家
イスラム主義
アミール・アル=ムウミニーン
シャリーア