「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第31位[3]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第54位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第46位[4]。 1940年代頃から、テネシー州メンフィスを拠点に音楽活動を行っていたが、デビューしたのは1951年と遅咲きである。デビュー後はチェスと契約、長きに渡って同社から作品を発表していった。1952年にイリノイ州シカゴに移る際、ギタリストのウィリー・ジョンソン ハウリン・ウルフは1960年代以降、英米のロッカーたちに大きな影響を与えており、これまで多くのミュージシャンにより、ウルフの曲(またはウィリー・ディクスン作曲の曲)がカバーされてきた。ロンドンでレコーディングされた『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』には、多数のイギリス人ロック・ミュージシャンが参加。エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズのビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、ローリング・ストーンズのサポート・メンバーだったイアン・スチュアートを中心に、一部の曲には元プラスティック・オノ・バンドのクラウス・フォアマンや元ビートルズのリンゴ・スターが参加し、更にスティーヴ・ウィンウッドもオーバー・ダビングで参加した[6]。 また、レッド・ツェッペリンの「レモン・ソング」は、ウルフの「キリング・フロア」がオリジナルであり、後にウルフの名前も共作者としてクレジットに追加された[7]。デビュー・アルバム収録の「ハウ・メニー・モア・タイムズ」の歌詞の一部がウルフの「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」からの引用とされている[誰によって?]。
生涯
ロックへの影響
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』 - Moanin' in the Moonlight(1959年、Chess)
『ハウリン・ウルフ』 - Howlin' Wolf(1962年、Chess)※通称:ザ・ロッキン・チェア・アルバム
『リアル・フォーク・ブルース
『モア・リアル・フォーク・ブルース』 - More Real Folk Blues(1967年、Chess)
『ザ・スーパー・スーパー・ブルース・バンド』 - The Super Super Blues Band(1968年、Chess)※マディ・ウォーターズ、ボ・ディドリーとの共演
『ハウリン・ウルフ・アルバム』 - The Howlin' Wolf Album(1969年、Cadet)
『メッセージ・トゥ・ザ・ヤング』 - Message to the Young(1971年、Chess)
『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』 - The London Howlin' Wolf Sessions(1971年、Chess)
『ライヴ・アンド・クッキン』 - Live and Cookin' (At Alice's Revisited)(1972年、Chess)
『ザ・バック・ドア・ウルフ』 - The Back Door Wolf(1973年、Chess)
編集盤
『チェンジ・マイ・ウェイ』 - Change My Way(1975年、Chess)
Cadillac Daddy: Memphis Recordings, 1952(1989年、Rounder)
Howlin' Wolf Rides Again(1991年、Flair/Virgin)