この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "ハイ・ファイ・セット"
ハイ・ファイ・セット
Hi-Fi Set
出身地 日本
ジャンルフォーク
ニューミュージック
ポップス
活動期間1974年 - 1994年
レーベルアルファ・アンド・アソシエイツ
(1975年 - 1978年)
東芝EMI
(1978年 - 1983年)
CBS・ソニー
→CBS/SONY RECORDS
→Sony Records
(1984年 - 1994年)
事務所バード・コーポレーション
共同作業者赤い鳥
紙ふうせん
荒井(松任谷)由実
細野晴臣
村井邦彦
小田和正
旧メンバー山本潤子
山本俊彦
大川茂
ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) は、日本のコーラスグループ。1974年結成、1994年解散。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) フォークグループ「赤い鳥」が路線上の違いから1974年9月に解散。「赤い鳥」のメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦(1947年2月23日 - 2014年3月27日、大阪市出身)、大川茂(1945年9月6日 - 、三重県出身)の3人が同年10月に結成した。グループ名は細野晴臣の案による。 1975年、「卒業写真」(作詞・作曲:荒井由実、編曲:服部克久)と同名のアルバムの同時リリースでレコード・デビュー。以降「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井の曲を数多くヒットさせ、後に荒井自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まった。 1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。第28回NHK紅白歌合戦にも出場。以降、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。 一時期、広松三和子[注 1]を「サポートメンバー」として、4人でコンサートをしていたことがある。 エフエム大阪のステーションミュージック「My Beautiful Music」(竜真知子/山本俊彦、編曲:井上鑑)(「マイ・ワンダフル・ミュージック」という曲名で表記されているものもある)もハイ・ファイ・セットが担当したものである。 1980年にいったん活動停止するが、1年後に活動再開し、4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓した。1984年には「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
来歴
出典検索?: "ハイ・ファイ・セット"
デビューまで
デビュー後