ハインリヒ3世_(神聖ローマ皇帝)
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1043年にアキテーヌ公ギヨーム5世の娘アグネスと再婚した[17]。
アーデルハイト(1045年 - 1096年1月11日) - ガンダースハイム修道院長。
ギーゼラ(1047年 - 1053年5月6日)
マティルデ(1048年 - 1060年5月12日) - シュヴァーベン大公・対立ローマ王ルドルフ・フォン・ラインフェルデンと結婚。
ハインリヒ4世(1050年11月11日 - 1106年8月7日) - ローマ王、神聖ローマ皇帝
コンラート2世(1052年 - 1055年4月10日) - バイエルン公(1054年 - 1055年)
ユーディト(1054年 - 1092年/1096年) - 1.ハンガリー王シャラモンと結婚。2.ポーランド公ヴワディスワフ1世ヘルマンと結婚。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「3世」はドイツ王(東フランク王)としてハインリヒ1世から数えた数字で皇帝、イタリア王としては2人目のハインリヒ。
^ 当時はまだ神聖ローマ帝国という国号はなく、古代ローマ帝国内でローマ人と混交したゲルマン諸国及びその後継国家群の総称を漠然とローマ帝国と呼び、皇帝は古代帝国の名残であるローマ教会の教皇に任命され戴冠していた。また神聖ローマ皇帝やドイツ王は歴史学的用語で実際の称号ではない。
出典^ 成瀬他、p. 157
^ 瀬原、p. 161-162
^ a b c 成瀬他、p. 158
^ 瀬原、p. 265
^ 瀬原、p. 269
^ 瀬原、p. 271-237
^ 成瀬他、p. 161-162
^ 瀬原、p. 267-268
^ 瀬原、p. 275
^ a b c d e f 成瀬他、p. 163
^ 瀬原、p. 280
^ a b 成瀬他、p. 181
^ 瀬原、p. 283
^ 瀬原、p. 284
^ 瀬原、p. 276。グレゴリウス6世、シルウェステル3世およびベネディクトゥス9世が廃位され、新たにクレメンス2世が教皇に選ばれた。
^ 瀬原、p. 164
^ 瀬原、p. 266
参考文献
成瀬 治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年
瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
関連項目
政教分離の歴史
先代
ハインリヒ5世バイエルン公
1026年 - 1042年次代
ハインリヒ7世
先代
ハインリヒ7世バイエルン公
1047年 - 1049年次代
コンラート1世
先代
ヘルマン4世シュヴァーベン公
1038年 - 1045年次代
オットー2世
表
話
編
歴
ザーリアー朝第2代ローマ王(1039年 - 1156年)
歴代ドイツ君主・盟主
カロリング朝
(ピピン751-768)
カール1世皇帝(768)-814
ルートヴィヒ1世皇帝814-840
ロタール1世皇帝840-843
ルートヴィヒ2世843-876
カールマン2世876-880
ルートヴィヒ3世876-882
カール3世皇帝876-887
アルヌルフ皇帝887-899
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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