1945年5月には、アドルフ・ヒトラーの自殺を受けてスターマーは駐日ドイツ大使館において、恐らく世界中にあるドイツの公的機関として唯一の追悼式を行ってヒトラーの死を悼んだ。しかし日本の首相や外相の参列はなく、外務省の儀典課長のみが式典に参列した[5]。 5月8日のドイツ降伏とその後の連合国軍によるドイツ占領、つまりドイツ国政府及び国家の消滅後も駐日ドイツ大使として振る舞っていたが、5月25日の東京大空襲で大使館が焼失した[6]。 さらにドイツ降伏から1か月後の6月8日に、日本政府は「ドイツ政府がもはや存在しない」としてドイツ大使館並びにドイツ領事館の職務執行停止を正式に通告した[7]ことで、駐日ドイツ大使及び外交官としての地位を喪失した。なおこの際に日本政府は「独逸国大使」のスターマー宛に、5月に焼失した旧ドイツ大使館の跡地を外務省の管理下に移すことを通知している[8]。 これにより外交特権も正式に剥奪されたものの、その後も大使然として旧大使館員や在日ドイツ人に対し命令を下していた上に、マイジンガーによる在日ドイツ人の思想取り締まりなどを放置していたため、6月11日にはマイジンガーら一部を除く旧ドイツ大使館員一同により解任勧告と以降の命令無視を通告された[9]。 同年8月に日本の敗戦を受けて、9月にはマイジンガーら数名の旧ナチス党東京支部幹部らとともにアメリカ軍によって逮捕され、巣鴨プリズンへ送られた。1947年6月17日には証人として極東国際軍事裁判に出廷している[10]。同年9月にドイツへ送還され、1948年9月に釈放される。 その後はリヒテンシュタインに移住し、スイスの武器メーカーに務めた[1]。またリヒテンシュタインの伯爵の称号を得た。1978年にファドゥーツで死去。
大使地位喪失と逮捕
その後
脚注^ a b ⇒スターマー・松岡会談
^ エルヴィン・ヴィッケルト
^ 荒井訓 & 2010-3, p. 271.
^ エルヴィン・ヴィッケルト『戦時下のドイツ大使館』中央公論社、1998年
^ エルヴィン・ヴィッケルト『戦時下のドイツ大使館』中央公論社、1998年、P.159
^ ⇒ドイツ連邦共和国大使館 建物と庭園-ドイツ大使館
^ 「21.独逸大使館及領事館職務執行停止ニ関スル件
^ 「20.独逸国大使館防空壕及大使館焼跡ニ関スル件」 アジア歴史資料センター Ref.B14090613700
^ エルヴィン・ヴィッケルト『戦時下のドイツ大使館』中央公論社、1998年、P.162
^ 今週の東京裁判 日本ニュース 戦後編第76号
外部リンク
時の人は語るスターマー独特派公使、大島前駐独大使 日本ニュース 第18号
先代
オイゲン・オット在日本ドイツ国大使
1942年 - 1945年次代
ハインリヒ・ノルテ
表
話
編
歴
駐日ドイツ大使(ドイツ語版)
ドイツ帝国特命全権公使
オットー・フォン・デーンホフ(ドイツ語版)1880
カール・フォン・アイゼンデヒャー(ドイツ語版)1880-1886
テオドール・フォン・ホレーベン(ドイツ語版)1886-1892
フェリックス・フォン・グーチミート(ドイツ語版)1892-1897
カール・ゲオルク・フォン・トロイトラー(ドイツ語版)臨時代理公使1897-1898
カジミーア・フォン・ライデン(ドイツ語版)1898-1900
ボート・フォン・ヴェーデル(ドイツ語版)臨時代理公使1900-1901
エメリッヒ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ1901-1906
フリードリッヒ・カール・フォン・エルケルト(ドイツ語版)臨時代理公使1906
アルフォンス・ムム・フォン・シュヴァルツェンシュタイン(ドイツ語版)特命全権大使1906-1911
アルツ?ル・アレクサンダー・カスパー・フォン・レックス(ドイツ語版)特命全権大使1911-1914
ドイツ国(ヴァイマル憲政期)
特命全権大使
ウィルヘルム・ハインリッヒ・ゾルフ代理大使1920・特命全権大使1921-1928
ウィルヘルム・アルブレヒト・フォン・ショーン(ドイツ語版)臨時代理公使1928
エルンスト・アルツール・フォレッチ(ドイツ語版)1929-1933
ドイツ国(ナチス・ドイツ期)
特命全権大使
ウィリー・ノベル(ドイツ語版)臨時代理大使1933
ヘルベルト・フォン・ディルクセン(ドイツ語版)1933-1938
ウィリー・ノベル(ドイツ語版)臨時代理大使1938
オイゲン・オット1938-1942
ハインリッヒ・ゲオルク・スターマー1943-1945
ドイツ連邦共和国特命全権大使
(西ドイツ及び統一ドイツ)
ハインリッヒ・ノルテ(ドイツ語版)臨時代理公使1952-1955
ハンス・クロル(ドイツ語版)1955-1958
ウィルヘルム・ハース (* 1896)(ドイツ語版)1958-1961
フリッツ・V・ブリーゼン(ドイツ語版)臨時代理公使1961-1962
ヘルベルト・ディットマン(ドイツ語版)1962-1965
ヴァルター・ボス(ドイツ語版)臨時代理公使1965-1966
フランツ・クラップフ(ドイツ語版)1966-1971
ハインリッヒ・ローレケ(ドイツ語版)臨時代理公使1971