ノーベル賞
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周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった[11]。その後、彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った[12]。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて[13]選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世(1905年まで兼ノルウェー国王)によって公布された。同年、科学者スヴァンテ・アレニウスもノーベル賞の創設に関わり、1901年、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれたが、これには反対の声もあった。その後はノーベル委員会の物理学部門の委員となり、化学部門でも事実上の委員として活動した。彼はその立場を利用して友人(ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフヴィルヘルム・オストヴァルトセオドア・リチャーズ)にノーベル賞を受賞させるよう誘導し、敵対する科学者(パウル・エールリヒヴァルター・ネルンスト)には受賞させないよう画策した(画策は成功しなかった)[14]。1903年、アレニウス自身もスウェーデン人初のノーベル化学賞を受賞した。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった[11]

ノーベル賞はその歴史と伝統などから権威が高く、ノーベル賞に部門のない分野における権威のある賞が「○○のノーベル賞」と呼ばれたり(ある分野のノーベル賞として知られる賞の一覧を参照)、不可能に近いことやきわめて困難なことの例えに比喩的にノーベル賞が使われたりする(「それができたらノーベル賞を取れる」など)。
部門

賞は「生理学・医学賞」「物理学賞」「化学賞」「文学賞」「平和賞」および経済学賞の各部門からなる。

特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門における受賞は、科学分野における世界最高の栄誉であると考えられている[15]。近年は生理学・医学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。また世界的に関心の高い分野への受賞など社会的なメッセージともとれる例がある[16]

経済学賞について、ノーベル財団は同賞をノーベル賞とは認めておらず[4]、この賞を正式名称(「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」)または「ノーベル」を冠しない「経済学賞」と呼ぶ。なお、経済学賞の創設後、環境、数学、建築、音楽など様々な分野の関係者から経済学賞と同様に費用を負担するので「ノーベル記念賞」を創設してほしいとの申し出があったが、新設されていない[4]

複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる[17]。ただし、同時受賞者の立場は対等とは限らず、受賞者の貢献度(Prize share)に応じて賞金が分割される。なお、性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており[17]、過去に国境なき医師団やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などが受賞している。
選考ノーベル文学賞の決定機関であるスウェーデン・アカデミー(2005年8月)

選考は「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[18]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイター社は旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表しており、2017年以降は同事業を引き継いだクラリベイト・アナリティクスクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞としてノーベル賞候補を選定発表している。これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただし、ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いため、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予測が難しい所以である。
資格

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことがのちに判明し、問題となった[19]。ただし、授賞決定発表のあとに本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。
授賞式ストックホルム・コンサートホールでの授賞式(2010年)

授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手賞状メダルがそれぞれ贈られる[20][21]

2020・21年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の影響により、授賞式は招待を行わずオンライン形式で実施し、受賞者は自国でメダルと賞状を授与する方式に変更された[22][23]

2022年、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、同年の授賞式にロシアやロシアを支持するベラルーシ、さらに人権問題と反政府デモ抑圧などを理由にイランの駐在大使を招待しなかったが、翌2023年の授賞式にノーベル財団は同年8月31日、「世界がどんどん分断され、異なる意見を持つ者の対話が減っている。こうした傾向に対抗したい」としてロシア、ベラルーシ、イランを含むノルウェー、スウェーデンに駐在するすべての大使を招待することを声明で発表していた[24][25]。しかし、この決定にスウェーデンやウクライナを中心に世界各国から反発の意見が上がったこともあり、2日後の同年9月2日、財団は「スウェーデンでの強い反応が、(財団の)メッセージを覆い隠してしまった」として、ロシア、ベラルーシ、イランの授賞式招待を撤回した。一方、オスロで行われる平和賞の授賞式は「すべての大使を招待することになる」とした[26][27]
晩餐会・舞踏会


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