ノーベルの遺言は3通ある[42]。書かれた年次は、順に1889年、1893年、1895年である。1889年の初めて書かれた遺言は破棄されている。
1893年に書かれた2通目は、もっとも形式が整ったものである。具体的な金額が盛り込まれておらず、遺産分配の割合が記されていた。親類・仕事仲間・友人らへ20パーセントを与え、協会や研究所などに16パーセントを寄付し、残りの64パーセントを基金の設立のためにストックホルムの科学アカデミーに移譲するという内容であった。
16パーセント枠にオーストリア平和協会
1895年に書かれた3通目は、ノーベルが翌年夏、ストックホルム・エンシルダ銀行に保管した。2通目以前を無効とする旨が明記されているが、2通目との違いは大きく分けて2点ある。1つは個人相続分が具体的な金額で示され、結果として2通目と比べた総額は実質的に3分の1程度に縮小された点である。内訳は次の通り。なお、兄ロベルトの子供たち4人その他には生前にそれぞれ2万クローナが振り込まれた。
甥ヤルマル:20万クローナ
甥ルードヴィ:20万クローナ
甥エマヌエル:30万クローナ
ゾフィー・ヘス:年金として26000フローリン
オルガ・ボットゲァー嬢(ゾフィーの妹):10万クローナ
アラリック・リードベック:10万クローナ
エリーセ・アンツン嬢:年金として2500フラン
アルフレッド・ハモンド:1万ドル
エミー・ウィンケルマン嬢:15万マルク
マリエ・ウィンケルマン嬢:15万マルク
家政婦のゴーシャー婦人:10万フラン
召使アウグスト・オスワルド:年金として1,000フラン
アウグストの妻アルフォンセ・オスワルド:1,000フラン
元庭師ジャン・レコツ:年金として300フラン
郵便局員デッソル夫人:年金として300フラン
ジョルジュ・ファーレンバック:1899年1月まで毎年5,000フラン
2通目との相違における第2点は、文学賞、医学賞、平和賞の選考主体を新たに指定した点である。これらの選考がスウェーデン王立科学アカデミーには難しいとノーベルが考えていたことが推測されている。
なお、3通目の終わりで指名された遺言執行人は、ラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストの2人である。 2017年以降、クラリベイト・アナリテイクスは、同社が運営する代表的なサイテーションインデックス(学術文献引用データベース)のWeb of Scienceの情報に基づいて、ノーベル賞の有力候補者の予想としてクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞を発表している。2011年のノーベル賞においては、自然科学系の3賞と経済学賞の受賞者9人全員が、過去にトムソン・ロイター引用栄誉賞(現・クラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞)で候補に挙げられていた[43]。
候補者の予想
賞に関する記録
ノーベル賞を2度受賞した人・団体
マリ・キュリー(1903年に物理学賞、1911年に化学賞)
ライナス・ポーリング(1954年に化学賞、1962年に平和賞)
ジョン・バーディーン(1956年と1972年に物理学賞)
フレデリック・サンガー(1958年と1980年に化学賞)
国際連合難民高等弁務官事務所(1954年と1981年に平和賞)
バリー・シャープレス(2001年と2022年に化学賞)
ノーベル平和賞を3度受賞した団体
赤十字国際委員会(1917年、1944年、および1963年)
夫婦でノーベル賞を受賞した組
ピエール・キュリーとマリ・キュリー
フレデリック・ジョリオ=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー
カール・コリとゲルティー・コリ
グンナー・ミュルダールとアルバ・ライマル・ミュルダール
マイブリット・モーセルとエドバルド・モーセル(受賞後に離婚)
アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロ
夫婦で共同受賞した組
ピエール・キュリーとマリ・キュリー(1903年物理学賞)
フレデリック・ジョリオ=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー(1935年化学賞)
カール・コリとゲルティー・コリ(1947年生理学・医学賞)
マイブリット・モーセルとエドバルド・モーセル(2014年生理学・医学賞)
アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロ(2019年経済学賞)
親子でノーベル賞を受賞した組
ピエール・キュリー、マリ・キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリーの親子
ジョゼフ・ジョン・トムソンとジョージ・パジェット・トムソンの父子
ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの父子
ニールス・ボーアとオーゲ・ニールス・ボーアの父子