ノーベル賞
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選考は「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[18]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイター社は旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表しており、2017年以降は同事業を引き継いだクラリベイト・アナリティクスクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞としてノーベル賞候補を選定発表している。これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただし、ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いため、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予測が難しい所以である。
資格

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことがのちに判明し、問題となった[19]。ただし、授賞決定発表のあとに本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。
授賞式ストックホルム・コンサートホールでの授賞式(2010年)

授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手賞状メダルがそれぞれ贈られる[20][21]

2020・21年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の影響により、授賞式は招待を行わずオンライン形式で実施し、受賞者は自国でメダルと賞状を授与する方式に変更された[22][23]

2022年、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、同年の授賞式にロシアやロシアを支持するベラルーシ、さらに人権問題と反政府デモ抑圧などを理由にイランの駐在大使を招待しなかったが、翌2023年の授賞式にノーベル財団は同年8月31日、「世界がどんどん分断され、異なる意見を持つ者の対話が減っている。こうした傾向に対抗したい」としてロシア、ベラルーシ、イランを含むノルウェー、スウェーデンに駐在するすべての大使を招待することを声明で発表していた[24][25]。しかし、この決定にスウェーデンやウクライナを中心に世界各国から反発の意見が上がったこともあり、2日後の同年9月2日、財団は「スウェーデンでの強い反応が、(財団の)メッセージを覆い隠してしまった」として、ロシア、ベラルーシ、イランの授賞式招待を撤回した。一方、オスロで行われる平和賞の授賞式は「すべての大使を招待することになる」とした[26][27]
晩餐会・舞踏会

授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)で、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する晩餐会が行われる。王室、受賞者などが階段を上がり、2階の別室へと退場したあと晩餐会は散会となり、そのまま2階のゴールデンホールという大きな部屋で舞踏会が始まる[28]。平和賞の晩餐会はオスロのグランドホテルで行われ、こちらにはノルウェーの国会、首相および2006年以降はノルウェーの国王夫妻を含めた約250人が招かれている。1979年の平和賞の晩餐会は、受賞者のマザー・テレサが「貧しい人にお金を使ってください」として出席を辞退、開催を中止させ、晩餐会に使うはずだった7,000USドルの費用はインドコルカタ(旧名:カルカッタ)の2,000人のホームレスへのクリスマスの夕食に使われた。晩餐会が中止になった最初の例で、前述の通り2020・21年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の影響により、晩餐会などの関連行事も中止となった[23]

1991年にノーベル賞90周年事業の一環として、晩餐会に使う食器類をすべてスウェーデン製に置き換えようとしたが、カトラリーだけはその複雑なデザインゆえに仕上げ研磨ができる技術が国内になく、カトラリーのデザインを担当したゴナ・セリンが懇意にしていた新潟県燕市の山崎金属工業に依頼した[29]。食器類など授賞式に使う調度品は、普段は厳重に鍵のかかった倉庫に保管されており、ノーベル賞の晩餐会にのみ使用される。晩餐会で使用されるカトラリーセットは「ノーベルデザインカトラリー」として一般向けにも販売されている。

ドレスコードは燕尾服もしくはナショナルドレス(民族衣装)であるため、川端康成本庶佑紋付羽織袴で出席している。
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