ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したと思われる行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[11]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルとパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[注 1]。
ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるとの見方もある。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。
成果の価値の有無で物議を醸すことになった受賞例
1973年には、ベトナム戦争のパリ協定調印を理由に、アメリカ合衆国のヘンリー・キッシンジャーとベトナム民主共和国(北ベトナム)のレ・ドゥク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が、抗議のため辞任するほどだった。平和賞の授与主体であるノルウェー政府は、激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。またレ・ドゥク・トは、ベトナムに平和が訪れていない事を理由に、平和賞の受賞を辞退した。その後、ベトナム民主共和国はパリ和平協定を破って、南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年4月30日にはサイゴン陥落させ、ベトナム全土を武力統一し、1976年にベトナム社会主義共和国を樹立させた。
1991年にミャンマー民主化運動の指導者として受賞したミャンマーのアウン・サン・スー・チーは、2016年の総選挙で率いる国民民主連盟が大勝し、事実上の首相に相当する「国家顧問」に就任したが、民族浄化との指摘もあるロヒンギャ問題への対応が消極的であるとして、平和賞の取り消しを求める請願運動がインターネット上で行われ、36万を超える署名が寄せられている。これに対し選考委員会は、取り消しに関する条項が存在しないことを理由に、行わないとの声明を出している[13] 。
1994年には、パレスチナ和平合意締結を理由に、イスラエルのイツハク・ラビン首相とシモン・ペレス外相、パレスチナ解放機構 (PLO) のヤーセル・アラファト議長が共同受賞したが、パレスチナの平和は続かず、やがて武力紛争が再開された。
2000年に史上初の南北首脳会談を実現させたとして受賞した韓国大統領の金大中も、政権発足当時から受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、会談の相手国である北朝鮮に5億ドルを不法に送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した大韓民国国家安全企画部(現:韓国国家情報院)の元職員によって暴露され、「カネで買った平和賞」との批判が巻き起こった。
2002年には、アメリカ合衆国のジミー・カーター元大統領が受賞した。当時アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が行おうとしていたイラク戦争に対して、ヨーロッパとりわけ北欧諸国は反対の立場をとっており、カーターの受賞は、カーターが北ヨーロッパ同様にイラク攻撃に懐疑的であったことによると考えられている。また2005年に受賞したエジプトのモハメド・エルバラダイは、イラク戦争を契機に、アメリカに対して批判的態度を採っており、この受賞もブッシュ政権への批判であると指摘されている[14]。