ノート:総統/過去ログ1
[Wikipedia|▼Menu]

Hartmannさん! ありがとうございます。Hartmannさんがドイツ語に御堪能であることはよくわかり、こちらも勉強になります。私のドイツ語は貴殿に比べるとはるかに劣りますので、御教示いただけることは幸いです。ただ、戦後の日本語文献の著者の大半はドイツ語に無知な英語しかわからない連中だ、と断ずるのはいささか言い過ぎで、日本にもたくさんおられる、ドイツ語に堪能な、真摯なドイツ史研究者への侮辱だと存じます。●1934年のヒンデンブルク死去の後のヒトラーの地位について、私の理解は「間違いです」とのことですが、申し訳ないのですが、まだ納得するにいたりません。私は、この年にヒトラーが「国家元首」になったことを否定するものではありませんが、Hartmannさん説のように「大統領になった」ことに関して疑義を呈しているのです。手元に十全の史料がないのですが、私の理解するところでは、ヒトラーはヒンデンブルクが危篤状態であった1934年8月1日に新法「G. uber das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes(ドイツ国および国民の『国家元首』に関する法律)」を制定しました。その根幹である第1条には「Reichsprasident(大統領)の職務は、Reichskanzler(国首相)の職務と合一され、従来の大統領の職能はFuhrer und Reichskanzlerであるヒトラーに移行する」と定められました。そして、ヒンデンブルク死去が公表された8月2日、ヒトラーは「大統領という称号は偉大なヒンデンブルクの名と切り離しがたく結びついているため、国家元首となった私はこれを使用せず、従来通りFuhrer und Reichskanzlerの称号を使用する。そして、国首相の職務自体に従来の大統領のもつ職能が合体されることについて、国民投票を実施する」と声明しました。ここで、Reichsprasident(大統領)とStaatsoberhaupt(国家元首)の用語が明らかに区別されていることは重要だと存じます。また、「大統領の職務」「大統領の職能」の「合一・移行」という言葉がくりかえし使われ、ヒトラーが「大統領」に就任するのだとは言われていないことも重要だと存じます。つまり、「ヒトラーはここで(大統領ではなく)国家元首となり、その称号としては従来通りのFuhrer und Reichskanzlerを使った」というのが、ごく自然な理解であると受け止めていただけるのではないでしょうか。「大統領ではない。大統領の職能を引き継いで国家元首となるのである」とヒトラー自身が言っているのに、「(大統領は)廃止されておりません。兼務しただけであります」とか「ヒトラーはヒンデンブルクの『後継大統領に就任した』」というのは拡大解釈にすぎると思うのですが、いかがでしょうか。もっとも、手元には「G. uber das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文をそろえていませんので、原文をご呈示いただければ幸いです。●一連の議論を通じて、Hartmannさんと私の理解の違いは明確になってきたように思います。Hartmannさんは「総統」を「1934年8月2日?1945年4月30日のFuhrer und Reichskanzler」に限る訳語だと解されるのに対して、私は「総統」はヒトラーの地位をあらわす「Fuhrer」の訳語であると理解する、というわけですね。●しかし、どちらが現在の日本で一般的な理解かは、前述した通り、戦後の日本語文献の大多数が私の理解と同じであることで示されております。Hartmannさんは、それは日本語文献の著者すべてが間違っているのだ、と主張されるのですが、それはHartmannさんの個人の御論文で展開していただくことであり、ウィキペディアでは大多数の理解を採用する、というのが約束事ではないでしょうか。●しかし、Hartmannさんにしても、ドイツの「総統」は「ドイツ国大統領」の同義語ではないことだけはお認めいただけるのではないでしょうか? もし総統=Reichsprasidentだとすると、ヒンデンブルクやデーニッツも「総統」と呼ばねばならなくなり、話が混乱しますものね。●もしそうだとすると、「1934年8月2日?1945年4月30日のFuhrer und Reichskanzler」は「FuhrerでありReichskanzlerでありStaatsoberhaupt(自動的に国防軍最高司令官ともなる)でもある」、というのですから、「ナチ党党首と国首相と国家元首と国防軍最高司令官が不可分に複合したもの」である、という理解がまちがっているとは思いません。それを「兼務を重ねた『だけ』」「単純に並べられた『だけ』」というのは、それこそ「個人的な見解の押し付け」ではないでしょうか。●失礼に聞こえた点があれば、どうか御寛恕くださいませ。なお、ボルマンの地位については、たしかにHartmannさんのおっしゃるのが正確です。ありがとうございます。kun211.2.46.214 2007年9月18日 (火) 01:07 (UTC)



kun211.2.46.214 さん!Hartmann です。今晩は! ご依頼のありました「G. uber das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文をお届けします。これはドイツ語リンク "Reichsprasident" に見つけました。戦前のドイツの官報に相当する Reichsgesetzblatt に同法律が公示された時のものです。また、このリンクを一覧する限り、kun さんが主張される1934年に大統領職が廃止されたとの記述はありません。ご自身で確認ください。ご返事をお待ちしております。Hartmann 2007年9月19日 (水) 10:38 (UTC)

Hartmannさん! 御教示ありがとうございます。ただ、せっかくの「原文」なのですが、画像が粗すぎて、私には読み取れません。ただ、なんとはなしにReichsprasidentとStaatsoberhauptが明確に区別されているようには見えますので、私見の補強になると思い、意を強くしています。●Hartmannさんが示されたドイツ語版ウィキペディアには確かに「1934年に大統領職が廃止されたとの記述はありません」が、まさか、史料そのものよりもドイツ語版ウィキペディアの記述の方を信頼すべきである、とはおっしゃらないでしょうね? ●上段に書いたところを繰り返しますと、史料の示すところでは「ヒトラーはここで(大統領ではなく)国家元首となり、その称号としては従来通りのFuhrer und Reichskanzlerを使った」というのが正確だと存じます。少なくともヒトラー自身が自分をReichsprasidentと呼んだことは一度もない(これはお認めいただけるでしょうね?)のですから、「大統領という職名はこの段階で廃止され、新しい国家元首の称号としてはFuhrer und Reichskanzlerが採用された」というのは、ごくごく常識的な見解かと思っています。ともあれ、そのあたりは上段の投稿に詳述しましたから、それに対するご見解を頂戴できれば幸いです。kun211.2.40.4 2007年9月20日 (木) 03:29 (UTC)



kun211.2.40.4 さん!ご返事ありがとございます。画像が粗くて解読できないとお嘆きのようですが、左下隅にある Version in hoherer Auflosung をクリックしてください。ディスプレイの画面全体に拡大されます。また、ドイツ語のひげ文字が苦手であれば、フラクトゥールを参照ください。説明があります。中途半端な回答はご遠慮いたします。十分に検討の上再度お考えをお聞かせください。それから一つお願いがあります。大統領が廃止されたと記述される史料があるとのことですのでその出典をご教示ください。Hartmann 2007年9月22日 (土) 09:08 (UTC)

Hartmannさん! 御教示ありがとうございます。おっしゃる通りいたしましたところ、確かに読むことができました。「G. uber das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文に接することができ、喜んでおります。しかし、読んでみた結果でも、上述の私見を変更する必要は認めませんでした。●「大統領が廃止された」という文言を直截的に記述した「史料がある」のではありません。それはこれまでくりかえしてきた通りです。●しかし、これまでのところ、どうも合意に達しそうにありませんね。ウィキペディアは学術論争をする場ではなく、大多数に受け入れられる見解を記述するものなのですから、そろそろ、お互いに譲歩しませんか? ●そこで、提案です。(1)私は、「1934年にドイツ大統領職が『廃止された』」という言い方には異論が提出されている事実を認める。(2)Hartmannさんは、「1934年にヒトラーがドイツ大統領に就任した」または「1934年にヒトラーがドイツ大統領を『兼務した』」という言い方には異論が提出されている事実を認める。(3)その合意の上に立って、より正確な表現を模索する。 いかがでしょうか? kun 211.2.47.217 2007年9月28日 (金) 12:19 (UTC)

kunです。前の書き込みから1ヶ月が過ぎ、その間ずっとHartmann氏のお返事を待っていたのですが、回答をいただくことができませんでした。しかるに、Hartmann氏は2007年9月5日 (水) 11:22の書き込みで、「回答なき場合はご理解いただいたと解」す、と宣言しておられます。この御言葉は当然のことながらHartmann氏御本人にも適用されるものでしょうから、Hartmann氏は今回の議論について私の見解を理解・了解された、と解することができます。したがって、議論は終了したとみなさせていただきます。ありがとうございました。kun211.2.48.178 2007年10月30日 (火) 02:57 (UTC)
ドイツにおけるFuhrerの法的地位

ドイツ国におけるFuhrerというのは「ドイツ国首相」のようなはっきりと法に定められた職なんでしょうか。北朝鮮の「偉大なる指導者金正日総書記」のようなepithet(添え名)なんでしょうか。Fuhrerの地位を示した法律などをご存じではないでしょうか。--模様砂漠2 2009年7月17日 (金) 14:57 (UTC)
Fuhrerと総統

「総統」という言葉を正確に定義するためには「Fuhrer」の解説と、日本語で「総統」がどのようにして用いられているかを出典付きで示すことが必要です。リバートではなく出典を示した文章によって加筆をお願いします。--模様砂漠2 2009年8月23日 (日) 05:57 (UTC)

模様砂漠2さん、初めまして。「Fuhrerと総統」と「ドイツにおけるFuhrerの法的地位」について私見を述べさせていただきます。まず、「Fuhrerと総統」についてですが、基本的には、あなたの仰るとおりです。ただ、「日本語で『総統』がどのようにして用いられているかを出典付きで示すことが必要」とありますが、これは一定の基準を設けないと際限がないかと思います。この件についてはどのようにお考えでしょうか。また、「『総統』という言葉を正確に定義するためには『Fuhrer』の解説」が必要だとあなたは仰います。それに否やを申すわけではないのですけれど、ただ、このページは日本語の「総統」の解説であり、イタリアやスペイン、中華民国の総統の項目に比して、ドイツの総統の項目が妙に肥大化している印象が拭えません。私が以前の版で「ドイツの総統部分を整理。このページの本義は日本語の「総統」の解説にあるので、Fuhrerについての詳説は脚注へ」としたのはその点を懸念したからです。「Fuhrer」が政治指導者の称号として使われた端緒が19世紀後半のシェーネラーであることや、ナチ党各階層のFuhrer、そして「指導者原理」などはドイツの「総統」(あえてFuhrerとしていないことをお汲み取りください)の解説本文に入れる必要が果たして必要なのでしょうか?私は脚注で述べるだけで充分だと思いますが。もし、上記のような「Fuhrer」や「指導者原理」の説明が必要ならば、イタリアの「ドゥーチェ」のように別ページを建てたほうが良いと思います。◆次に「ドイツにおけるFuhrerの法的地位」については、やはり、「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」で定められているのではないでしょうか。ご承知の通り、法律の本文中に「ドイツ国大統領の従来の権限は『Fuhrer und Reichskanzler』アドルフ・ヒトラーに委譲される」とあります。この条文により「Fuhrer und Reichskanzler」が国家元首兼首相として国制上に位置づけられたものと私は理解しています。この称号を日本語で「総統」ないし「総統兼首相」と訳すことは周知の通り。なお、「Reichskanzler(ドイツ国首相)」は次第に省略され、1939年以降はただ「Fuhrer(総統)」と称したことも知られています。このことは、ヒトラー自身の「Fuhrer und Reichskanzler」という称号に対する考え方(この称号の本質、と言ったらよいのでしょうか)が奈辺にあるかが読み取れましょう。ですから、ヒトラーの国家元首兼首相としての地位を示す称号としては「総統兼首相」よりも「総統」のほうが、一般的に定着しているものと私は解します。ゆえにドイツの「総統」はナチ党党首・大統領・首相・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号だと前の版で記した次第です。◆最後に、便乗して質問することをお許しください。 (1)「総統」という語句について、このページの本文では「総統(そうとう)とは、国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ。中国語で大統領を意味する總統に由来する」と定義されています。「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」というところはその通りだと思うのですが、「中国語で大統領を意味する總統に由来する」というところに違和感を感じます。「全体を統べくくること」という「総統」の本来の語義(広辞苑より。後日、日本国語大辞典や大漢和辞典を照会してみます)をまず紹介し、そこから現代の中国語で大統領のことを「總統」ということを記すほうが自然ではないでしょうか?そうすると、本文中の「ヒトラーの地位を日本語に翻訳する際に、中国語の大統領を意味する総統が用いられた」にも疑問がわきます。これは、何か根拠があるのでしょうか。 (2)模様砂漠2さんの執筆を受けて、シェーネラーの影響下にあったヒトラーが「Fuhrer」の称号を使い始めたとしましたが、これも根拠があるのでしょうか。何せ不勉強なもので、根拠があった場合は失礼をお許しください。 (3)これも模様砂漠2さんの執筆を受けてなのですが、1933年にヒトラーが首相に就任した後にナチ党員から「Fuhrer und Reichskanzler」とよばれたとしましたが、1933年の時点においてナチ党員以外の一般国民からは「Fuhrer und Reichskanzler」とよばれてはいなかったのでしょうか。つまり、「Fuhrer und Reichskanzler」は1933年の段階ではナチ党限定の称号だったのでしょうか。 (4)1934年の国家元首就任以前のヒトラーの地位である「Fuhrer」を「総統」と訳す例が多数あることは承知しておりますが、果たしてそれは妥当なのでしょうか。「国家元首・国家の最高指導者」としての「総統」と、「一政党の最高指導者の称号」としての「総統」は違うのではないでしょうか。これはあくまで私見なのですが、国家元首就任以前のヒトラーの地位としての「Fuhrer」は、「(ナチ)党最高指導者」や「党総統」と訳したほうがいいと思います。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:111 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef