ノート:無神論
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--Gruppetto 2009年7月23日 (木) 13:43 (UTC)[返信](コメント)素朴な疑問ですが、一神教という限定の方が、より狭義の定義の気がするのですが、いかがでしょうか?反論というより、この点を扱った説明の加筆を提言したいのです。 論点となっている点としましたは、意識の違いの問題があるかとおもいますので、以下に説明します。

 神によるこの宇宙全体の含める天地創造等があったとする人の立場(アブラハム系の宗教が中心) >> この世の全ては、神の産物であり、広義に属する。変更されたあと(現在)の意見。

超自然的存在を認めない立場の人 >> 神のいない世界で、神を信じている人の意見は、狭義である。以前の定義の意見。
 - 最終的には、この意見(意識)の違いの気がします。-
STHN 2009年7月25日 (土) 19:45 (UTC) - 「キリスト教徒やイスラム教徒等の神を信じる人での定義とあまり一神論的な神に関心のうすい日本で定義の違い.....」等という明確かつ、より詳しい説明と、どの立場からの広義であり、どの立場からの狭義かが、強調付きであればより良い項目になるとか思いましたので、コメントさせていただきました。私には、書けないのでお願いします(^。^;)>”。[返信]

無神論とは、神を認めない立場ですね?神を認める立場なら、仰るとおり一神教という限定の方が、より狭義です。だからこそ、それを認めない立場は逆の広義になるのではないですか?。狭義は広義より適用される範囲が狭くならなければなりません。神道、仏教などの多神教は広義の無神論には入ることになりますが、狭義の無神論には含まれないわけですから。これは、一神教を信じるひと、多神教を信じる人、無宗教の人、無神論の人、といった立場とは一切関係ないと思います。ただし、読む人にとってわかりにくいようですから、「広義」「狭義」という言葉は用いない説明に変えるのも一つの方法ではあるかと思います。--Gruppetto 2009年7月26日 (日) 13:16 (UTC)追記--Gruppetto 2009年7月26日 (日) 13:30 (UTC)[返信] お返事遅れたこと、すみませんでしたm(__)m。確かに、私のミスだったようです。根本の部分である否定の大小を間違えたみたいです。日本神道等の多神論の中でアブラハムの宗教を否定するのが、狭義で、日本神道やその他の多神論の神をも含んで全ての存在を否定するのが、広義だと誤解(解釈ミス、思い込み)していました。できれば、おっしゃっていたように、広義や狭義という言葉を用いない表現がいいかと思いました。-- STHN 2009年7月27日 (月) 09:40 (UTC) -- 思い込みに、気がつかせていただき有難うございました。しかし、この文、「どちらか否定すれば、あちらも同時に否定できると」何か、変なパラドックスというか、言葉遊びの要素があるみたいですが、いかがでしょうか?(^^;)、この文を書きながらも、(@@)めまいが..... 少し、気になったのは、言い訳(言い逃れ)になりますが、項目のこの部分のコメントアウトに、なにかを感じたのか(変更前の文の説明だと思いますが)「たぶん西洋では前者が、日本では後者が一般的な無神論の定義として用いられているのではないでしょうか」とありました。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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