記述者様がお示しになられた出典には、『18世紀末』に日本最大の水揚げの壱岐の『好漁時の捕獲高は他の捕鯨場の2倍以上(約50頭)に及び』とあり、生息数が顕著に減っているならば漁獲高も減少しなければならないはずなのに不可解であり、更に『19世紀に入り太平洋で活発化するアメリカなどの捕鯨船の活動と、その影響による西海地方での捕獲高の減少』とあり、大きく矛盾しているようです。記述者さまが出典を示せないようですので、独自研究に該当すると思われます。 --べあぱーく(会話) 2013年1月17日 (木) 11:30 (UTC)[返信] 上記の出典(古賀2010)から読み取れる情報としましては、安政年間(十九世紀中ごろの話)に鯨の水揚げのピークを迎え、その後はじめてクジラの漁獲高が一部の地域(壱岐)で減っております。これは19世紀(1801-1900)の話です。記述された「18世紀」においては、出典の通り、徐々に鯨捕り漁師の人数(番屋の数)が増えていった時期です。要は、生息数が減っているならば、「たいして漁法の進歩のない時代の日本の漁民」が、毎年、安定した鯨の水揚げを行えるのか?という素朴な疑問です。 --べあぱーく(会話) 2013年1月19日 (土) 16:36 (UTC) (原文引用)子鯨を最初に殺してから、子供を置いて逃げることができない親鯨や、一度逃げても子供を想い再び戻ってきてしまう親鯨をも一網打尽にする手法は、日本の古式捕鯨でも常套手段であったとされ、各地に残る舟唄 等の資料からもこの事が判明している。(引用ここまで)(途中の出典・及び出典無効は除外) 記述者がお示しになられた出典は(、一部が出典無効(特定できない人物・団体が書いたもので、ウィキペディアに掲載できない「未確認情報」と思われます)でありますが)、それ以外の出典群は、単に漁師の願望が(例えば歌などに)こめられているだけで、「漁獲高が多いほうが収入が得られる」という趣旨の願望を込めているだけで、「常套手段であった」を明示的に示す資料になっておりません。 蒸気船がなかった頃の原始的なクジラ漁は、陸(おか)から見える範囲に発見されたクジラを、地元民(数十人以上の規模)が、一攫千金で命がけで捕りに行くスタイルなわけでして、ただでさえ「いきあたりばったり」の偶然なのに、やってきたクジラが「大きなオスクジラか、メスクジラか、母子連れか、両親と仔か」などの区別はつけられないはずです。江戸時代に一番水揚げが多かった壱岐(長崎県)でさえ年間50頭「しか」捕獲できていません。壱岐には5組の鯨捕り漁師集団が当時おり、数字はそれらの合計です。日本の他の場所ではこの数字の半分以下です。この数値では、「一網打尽」や、「常套手段」や、親子連れを無慈悲に狙っただのを書けないと考えられ、、また書ける出典群でもありません。正確には、「日本では、沿岸に来たクジラを小舟(和船)で捕っていて、毎日水揚げがあるわけではなかった」程度しか書けないと思われます。この意味では「盛んに漁がおこなわれていた」という記述も、一か所で年間20数頭以下の鯨を捕っていただけの日本では記述できかねるかと思われます。例えて言うと、アフリカのブッシュマン(さまざまな部族がいるそうですが)が、長い歴史のもと、アフリカゾウを時々捕獲していたのを「盛んに捕獲していた」と表現するのと同じで、それはブッシュマンとゾウは共存していただけであるのですが、同じように、北大西洋でセミクジラを捕りつくした欧州人が場所を北太平洋に変えたために、沿岸でしか漁業ができない日本人が漁ができなくなるほどの甚大な結果となった(定説)のであります。 --べあぱーく(会話) 2013年1月17日 (木) 11:30 (UTC)
鯨の減少は19世紀からです
偶然発見したクジラを捕る漁
お示しになられている出典群では、「日本の幾つかの地域の漁師の歌で、母子連れの鯨を捕獲したいという願望が歌われた」という、幾つかの出典に示された事実までしかお書きになれないと思われ、現在の記述の主旨では独自研究に該当します。また、近世までの人類は大抵の動物に対して親子連れでも漁や猟や釣り・罠をするのはごく普通に行われていて、商品価値がない場合は仔を逃がしていたとか特殊なことを行っていたようですが、お示しになられた出典群によって、学術的な見地からも「特筆性を示唆されているわけでもない」ようでして、記述自体の特筆性も考慮して判断中です(特筆性を示してください)。 --べあぱーく(会話) 2013年1月19日 (土) 16:36 (UTC) (原文A引用)本種は、現存する全ての大型鯨類の中でも最も絶滅危惧であるとされ、特に東太平洋では30頭前後、50頭以下しか生存していないのではと言われている。[1](引用ここまで)^ Paul R. Wade et al. (2010). “The world's smallest whale population?”
(原文引用)子鯨を最初に殺してから、子供を置いて逃げることができない親鯨や、一度逃げても子供を想い再び戻ってきてしまう親鯨をも捕獲する手法は、日本の古式捕鯨でも行われていた(引用ここまで)
生息数の数字
(原文B引用)本種は最も絶滅に瀕した大型鯨類の一つであり、生存している個体数は非常に少ない。特に東太平洋側では目撃情報がある度に、それだけの為に科学論文が書かれてきた程である。現在の生存数については諸説あり、100?200頭程度との推定もある引用エラー: <ref> タグ内の引数が無効ですが、正確な測定がされたことはない。日本がオホーツク海における目視調査200頭以上400?500頭未満が一般的な推定生息数として見積もられている。(引用ここまで・改行は除去)
原文AとBとでは数字がまるで異なります。ウィキペディアでは全ての有力説を併記すべきですが、それはわかりやすくまとめて記述することをお願いしているのでして、節によって数値が異なる状態では記事の正確性が問われてしまいます。対策として、科学的に信頼できる東京海洋大学(2000年)の数値を本文には書いておきました。 --べあぱーく(会話) 2013年1月17日 (木) 11:30 (UTC)[返信]
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