ノート:アドルフ・ヒトラー
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資産6,3906,390
親族137,632
シックルグルーバー家4,1444,144
ペルツル家2,0952,095
長兄アロイス2世のヒトラー家584584
長姉アンゲラの血縁796796
勲章2141,142
ドイツ国内776776
ドイツ国外152152
逸話1311,842
生存説7,9637,963
子供3,3763,376
戦後の西ドイツ国内の評価490490
創作作品9415,580
映画4,1224,122
テレビ映画743743
テレビ番組415415
舞台183183
ドキュメンタリー3,1013,101
小説1,1771,177
ゲーム1,9041,904
漫画3,3703,370
アニメ471471
関連書籍6,6916,691
脚注3395
注釈3232
出典3030
参考文献11,69911,699
関連項目961961
外部リンク5,6545,654
合計362,637362,637


過去ログ一覧
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村瀬興雄 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』(中公新書、1977年)並びにヴォルフガング・シュトラール『アドルフ・ヒトラーの一族 独裁者の隠された血筋』(畔上司訳、2006年、草思社)からの引用の箇所は幾つか中立性を著しく欠いていませんか?修正を提案します。

幾つかの引用の箇所について、明確に著者の個人的解釈、感情的なバイアスのかかった文章にお見受けします。研究書と称して一度出版されたものからは無反省に引用できることを利用して、中立性を損壊し、個人を中傷しているのではないでしょうか?

具体的には、「放浪生活」の以下の箇所ヒトラーはすでに父からの遺産分与700クローネはある程度浪費しており、また母親の葬儀費用などで370クローネを支払っている[74]が、母からは父の遺産全額の3000クローネが残されたし、また妹パウラとヒトラーが24歳になるか就業するまでは孤児保護の恩給として月50クローネの受給もオーストリア・ハンガリー政府から認められた[74]。遺産の一部と孤児恩給の半額は妹パウラを引き取った義姉アンゲラに養育費として渡されたが[74]、10代の青年としては十分過ぎる程の遺産と当面の生活費が残されたのである。引き続きウィーンでの放蕩生活を送っていたとしても数年は遊んで暮らせていたはずであり、我が闘争で主張されたような貧困伝説は政治的なプロパガンダでしかない[74]。むしろ遺産を受け取り、労働が可能で、かつ就学もしていない身の上を鑑みればパウラが恩給の全額を受け取る権利があったにも関わらず[78]、妹や後見人に無断で勝手に孤児恩給の申請書を出すなど策を巡らし、学校に通っていた妹から半分恩給を奪い取っている[79]。

アウグスト・クビツェク「アドルフ・ヒトラー わが青春の友」MK出版社によれば、p235「それによるとアドルフの取り分は二十五クローネになる。それではもちろん生活するには少な過ぎる。比較のために挙げれば、アドルフだけでもツァクライス夫人方の部屋代を月極めで十クローネ払わなければならなかった。」その上p234では後見人に遺児年金の相談に来たヒトラーについての後見人マイヤーホーファーの話が載っていますし、p232にはアドルフが姉のラウバル家に妹パウラを預かってもらえるよう手を回した旨が書いてあります。

クビツェク氏のこれらの記述と、村瀬氏シュトラール氏の記述にはこれほどの乖離があるのですが、それでも後見人に無断で行動したり妹を見捨てたという表現をあたかも正史のように書いたままで許されるのでしょうか?これらのことから上記の箇所を、wikipediaの本来あるべき姿から逸脱したアドルフ・ヒトラー氏への中傷だと判断しましたので、修正を提案いたします。

最低でも、上記の箇所を「誰々という研究者の考えでは?」という書き方にした上でクビツェク氏の本の方の記述と併記しなければなりません。子どもも読むwikipediaですので、激しい偏見を含む研究者の文章がその場の注釈無しに書いてあれば、遥か下に引用が申し訳程度に書かれていることなど知らないためにこのwikipediaの文章を正史だと考えてしまうでしょう。--ドンブラコ(会話) 2018年7月16日 (月) 20:11 (UTC)[返信]
記事改善の提案

丁寧語を割愛致します。又長文失礼します。

このページの特に経歴の項があまりにもデマやゴシップの切り貼りで占められ、もはや少しずつ修正するだけではどうにもならないことを、ヒトラーの口述筆記本を読んだ方なら知っているはずだ。

最初期に編集された方が「悪人の破滅の物語」という先入観で筋書きを用意してしまったため、記事全体としてその偏向に忠実になり、逃れようとしてもできない構造になっている。 そして、一度編集済になってしばらく経った記事は、客観性を軽んじた思い込みのストーリーであろうが、無責任な憶測の切り貼りをあまりに多く含んでいようが、それら風説を否定する証拠が明確に提出されない限り反駁されないという特権的地位を得てしまっている。

なぜ過去編集してきた人々は、思い思いの空想の筋書き、風説や噂の孫引きや憶測を、客観性を担保したと言い張ってwikipediaに平気で書き、適当に承認し、そのままにしたのか。 客観性を重んじ、噂話を排そうとする人ならば当然この記事を見過ごすことはできない。

ヒトラーという人物は二十世紀で最も歴史的評価が定まっておらず、従ってその可能な限り客観的な記事を書こうとするにあたっては、細心の注意を払わなければならない。それに反してこのページを編集した人々の少なくない数は、ヒトラー自身の口述筆記からは情報を得ず、ヒトラーと関わりの殆ど無かった人々の暴露本やオカルト本に軽率に依拠してヒトラーの考えを各々創り出し、この記事を編集したのだ。こんなことはwikipediaにおいて起きてはならないことである。歴史的事実として、ここ何十年もの間、アドルフ・ヒトラーに関しては事実に基づかないデマやゴシップが公然と出回ってしまった。そんなことは皆知っているはずなのだが。それを野に放ったままでは無く、選別して少しでも記事を改善することはwikipediaの役割では無いのか?

本当に残念なことは、この偏向記事が、wikipediaのページとして一定の信頼を大衆に保証してしまっているということである。

さて、このような治療しがたい最悪の状態に対して私から提案がある。この中立からかけ離れたとりわけ経歴を別ページに移すなりして、本人の思想のみを本人の口述にのみ基づいて書くべきである。現状の悲惨な状態から一つ一つ修正するのでは無く、一から信頼のおける文章で構成されなければならない。「我が闘争」の内容は、1940年代のヒトラーが若気の至りとして後悔しているものなので、当然「ヒトラーのテーブルトーク」が主な参考文献とならなければならない。

「記事は長ければ長いほど良い」と安易に主張して、これほどまでに虚実入り交ざった文章を堂々と公開していてはならない。許されないことに、皆で丁寧に推敲し客観性を担保した結果だと称して、この嘘まみれの記事が検索のトップに出てきてしまうのだ。このページで引用されている本の内の驚くほど多くが、デマやゴシップの辻褄をこじつけた無責任な個人研究で、ヒトラー自身の思想と食い違っているものも多い。そんなものが、一度引用元として記事に残ってしまえば疑われないので、いかにも史実研究として信用されかねない危険な状態にある。

あまりにも指摘すべき点が多すぎるが、ここでは一点だけ指摘する。 アドルフ・ヒトラーの記事の頭に堂々と「ユダヤ人大虐殺を主導した」という有名な宣伝が、わざわざ絶滅という語を避けて取り入れられている。この記事を編集した者は、本当はヒトラーの口述筆記を読んでいないのではなかろうか?まさか、本人の著作ではない本しか読まないで噂をそのまま書いたのなら、許されないことで、それを指摘しなかった全ての人々にも当然責任がある。

「ヒトラーのテーブルトーク」三交社、上p337、HITLER'S TABLETALK Ostara Publications p94で「なぜユダヤ人をロシアの戦争捕虜と比べて特別扱いしなければならないのだ?」とヒトラーは述べている。つまり、ユダヤ人は戦争捕虜以上でもそれ以下でも無く、歴史の主役でも無ければ何でもないのだ。第二次大戦後に作られたビジネスのための映画、特定の集団の利益のための大がかりな宣伝で扇動されて、歴史の創作活動に加わることは、この記事の編集者として不適切な態度だ。世間の流れに身を委ねた風見鶏のような記事がwikipediaにあって良いはずが無い。「ユダヤ人」を歴史の悲劇の主人公とし、その付属品としてヒトラーのストーリーやドイツ人の視点からのストーリーを空想で補完した筋書きを正史として臆面無く発表することは、客観性という言葉で許される限度を大きく超えている。

また、1942年1月20日のヴァンゼー会議でホロコーストなりユダヤ人絶滅が決定されたと書いてあるが、

「ヒトラーのテーブルトーク」三交社、下p283、HITLER'S TABLETALK Ostara Publications p238で1942年7月22もしくは23日に「ユダヤ人の助けが必要だ。彼らの無敵の商才があれば、ウクライナに避妊具を普及させられるだろう」と話しているのだ。ヒトラーは絶滅命令を出したはずのユダヤ人に何故仕事を任せたのか?本人の口述筆記と食い違うことが客観的記事としてそのまま晒されているが、ただの妄想をいかにも根拠ある事実であるかのように残しているのは信じがたいことだ。それだけでなく、記事全体を通していかにもホロコーストでユダヤ人が全滅したことを信じさせようとする非公正な記事ではないか。はっきりと「ユダヤ人絶滅計画」に言及せず、「証拠はまだ見つかっていないので確定できない」として一見客観性を装いながら、その状況証拠とやらを何とかして事実上否定できないものとして読者に信じ込ませようと幾度となく誘導している。こんな偏向記事が果たしてwikipediaのページとして君臨し続けて良いのか?

上記二つのヒトラー自身の口述、殆ど唯一信頼できる証拠から組み立てられるのは、「ユダヤ人は戦争捕虜以上でも以下でも無い。ロシア兵捕虜と同じく厳しい環境におかれ、粛清された者も少なくなかった。そして、それ以上の大がかりなストーリーをデマ、ゴシップ、先入観と憶測で勝手に組み立てるのは歴史の検証でも何でも無い」という事実だ。そのストーリーの内で有名なものが大々的に商業宣伝されてきたからといって、史実として確定させようと試みるのは大きな誤りだ。ましてやその出鱈目が、wikipediaの記事に有力な歴史として勘違いされるような書き方で載せられて、そこから更に宣伝されるようなことは許されることでは無い。


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