1985年、アンディ・ギャビン(Andy Gavin
)とジェイソン・ルービン(Jason Rubin)によって独立したゲーム開発スタジオとして設立された[5](2001年にはソニー・コンピュータエンタテインメントにより買収された)。設立当初は「Jason and Andy Magic」を略しJAMソフトウェアと呼ばれていた。ギャビンとルービンはメガドライブ用の『Rings of Power』と3DO用の『ウェイ・オブ・ザ・ウォリアー』を含むゲームを製作し次第に成功を収めていった。特に後者は低予算ながらも良作とされ、ユニバーサル インタラクティブ スタジオはこれを評価し、当スタジオと3タイトルに及ぶ契約を結び、会社拡大のため資金を供給することとなる[5]。ソニック・ザ・ヘッジホッグ2の開発に当たったセガのマーク・サーニー(Mark Cerny)は、新たに得た資産を最新世代ゲーム機の3D機能の能力をフルに活用するような、コミカルキャラクターが主役の3Dアクションゲームの製作に集中するようノーティードッグを説得していた[5]。このエピソードは最終的には1996年8月31日の初代PlayStation用『クラッシュ・バンディクー』のリリースにつながったという。ノーティードッグはこのクラッシュ・バンディクーの続編を後の数年の間で3作製作する。 2001年1月にはソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)がノーティードッグを買収すると発表。『クラッシュ・バンディクー レーシング』を開発した後、同スタジオはPlayStation 2用の『ジャック×ダクスター』の開発に取り組み始めた。 2004年には、ノーティードッグのスタジオの社長兼共同創設者であったジェイソン・ルービンが会社を辞め[6]、別のスタジオで『Iron and the Maiden
SCE買収後
2007年にはノーティードッグ最初のPlayStation 3タイトルである『アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝』リリース。2009年にその続編である『アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団』、そして2011年11月に『アンチャーテッド 砂漠に眠るアトランティス』 がリリースされた。特に『黄金刀と消えた船団』は、コントローラーを手放せさせない興趣の尽きないストーリーに、手に汗を握る迫力溢れるゲームプレイ、細部まで拘り作り込まれたクォリティーの高さなどが評価され、“AIAS[8] ゲーム・オブ・ザ・イヤー 2009”をはじめとする多くのゲーム賞を獲得した[9][10]。 当時までのノーティードッグは、同時に複数のタイトルを開発しない他、世代別のゲーム機ごとにひとつだけのフランチャイズしか製作しない来歴を持つことが知られていたが、この方針は過去のフランチャイズのファンから多数の批判を招いていたという[11]。しかし、2011年12月10日のPlayStation 3用新IPである『The Last of Us』の発表でこれまでの方針が終局を迎える。このプロジェクトは同スタジオ内において初となるセカンドチームを備えた同時進行開発となり、2013年6月にリリースされ、批評家による圧倒的な称賛を受けた。 2013年11月の米国でのPlayStation 4のロンチイベントでは、PS4用として『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』が発表され[12]、これでアンチャーテッドはノーティードッグ初となる2世代間に跨るフランチャイズとなった。 ノーティードッグは、その社内ゲーム開発チームに加えて、SIEワールドワイド・スタジオの中心技術グループであるICEチーム(Initiative for a Common Engine Team / 共通エンジン構想チーム)の本拠地でもある[13][14]。
方針転換
ICEチーム