ノーサイド・ゲーム
[Wikipedia|▼Menu]
柴門琢磨(さいもん たくま)
城南大学ラグビー部監督→アストロズ監督。城南大学ラグビー部
OB。選手時代は、プラチナリーグの「淀屋フーズ・フェニックス」に所属し、ポジションはナンバーエイト。大学ラグビー界のスター選手で、君嶋とは大学時代に同じ学年で同じクラスに籍を置いていたが、接点はほとんどなかった。城南大学ラグビー部の監督として3連覇を成し遂げていたにもかかわらず、城南大学の伝統に反する改革で、サイクロンズ監督の津田などが牛耳るOB会の反発を招き、監督職を更迭された。その直後に、電話で君嶋からアストロズ監督への就任を打診。君嶋とは大学生時代以来の再会であったが、社会人のラグビーチームを指導した経験がないことなどから、いったん打診を固辞する。君嶋が手紙を通じて謝罪と熱意を伝えたことをきっかけに、アストロズの選手ごとに分析点を記した手紙を送ったうえで、選手全員の同意を条件に監督へ就任する意向を伝える。後に、同意を得られたことから、アストロズの監督へ正式に就任。アストロズからは、城南大学ラグビー部の監督在任中(2年前)にも、当時副部長だった滝川から監督への就任を打診されていた。本人も乗り気だったが、トキワ自動車社内での意思疎通が十分でなかったことから固辞していた。指導者としては、緻密な分析と厳しい練習を組み合わせながら、攻撃的なスタイルのラグビーを志向。城南大学の監督時代には、そのスタイルが津田の逆鱗に触れていた。
佐倉多英(さくら たえ)
アストロズアナリスト、横浜工場総務部員→横浜工場総務部係長、イベント企画担当兼務。実父はトキワ自動車の元・社員で、ラグビー部の選手としてチームの黄金期に活躍した。多英の大学時代に亡くなったことから、親子2代でラグビー部へ携わることを目指して入社。練習や戦術の分析を行う。
岸和田徹(きしわだ てつ)
アストロズキャプテン、横浜工場総務部員。ポジションはナンバーエイト。アストロズのことを真剣に考えながら、周囲の状況を冷静に見ている。自身の活躍よりチームとしての勝利を優先させるスタンスで、君嶋や柴門からの信頼も厚い。君嶋やチームメイトからは、親しみを込めて「テツ」と呼ばれる。
浜畑譲(はまはた じょう)
アストロズ選手、横浜工場総務部員→アストロズGM。選手時代のポジションは
スタンドオフ。2年前まで日本代表に選出されていたチームの看板選手。ラグビー未経験者ながらGMへ就任した君嶋を、最初は軽蔑していた。しかし、君嶋がアストロズの存続と強化に本腰を入れていることを知るにつれて、君嶋に敬意を表するようになる。全満身創痍の状態でアストロズをプラチナリーグ優勝へ導いたことを花道に、君嶋からアストロズのGM職を引き継ぐ。
七尾圭太(ななお けいた)
海外事業部員→アストロズ選手。ポジションはスタンドオフ。小学6年生の直前に日本から
ニュージーランドへ移住したことをきっかけにラグビーを始めると、抜群のプレーセンスを発揮した。プロの選手を目指していたが、大学2年生の試合中に、ラックでのプレーで膝の十字靱帯を痛めたため断念。「ラグビーだけでは生活できない」と悟ったため、大学からの卒業を機に日本へ戻ると、ラグビーとは無縁の企業で安定した人生を送ろうとしていた。第二新卒向けの一般職枠でトキワ自動車の入社試験を受けていた横浜工場で、ニュージーランド時代の活躍を知る柴門と遭遇。その際に柴門から紹介された君嶋から直々に説得を受けたことで、ラグビー経験者向けの特別採用枠がないにもかかわらず、アストロズへの入部を前提にトキワ自動車への入社を決意する。アストロズへの仮入部中に紅白戦の控え組で活躍したことから、アストロズへの正式入部と同時に横浜工場に異動。前述した膝の痛みを抱えながらも、入部2年目のプラチナリーグ開幕戦では、同じポジションの浜畑からスタメンの座を奪った。レギュラーとしてプレーを続けるうちに、怪我の原因になったラックへの恐怖心が徐々に露呈するが、満身創痍でありながら引退覚悟でチームプレーへ徹する浜畑の姿勢に触発されたことを機に克服。
里村亮太(さとむら りょうた)
アストロズ選手、横浜工場品質管理課員→日本モータース・サイクロンズ選手。ポジションは
スクラムハーフ。アストロズでは浜畑と並んで、チームの看板選手として扱われていた。その一方で、過去に日本代表を経験していることや、極度の負けず嫌いであることから、チームの状況に不満を感じていた。君嶋のGM就任2年目に、サイクロンズGMの鍵原から移籍のオファーを受けたことがきっかけで、アストロズを離れることを決意。アストロズ以上にラグビーに打ち込める環境が整っていることや、日本代表時代のチームメイトが何人も揃っていること、を理由に、サイクロンズへ移籍した。シーズン中のライバルチームへの移籍であったため、君嶋は移籍承諾書の発行を見送ることによって、「移籍しても1年間は公式戦に出られない」というプラチナリーグの規定が里村に適用されることを画策していた。しかし、里村の念願である日本代表復帰が遠のくことを危惧したアストロズの選手たちの総意に押される格好で、結局は移籍承諾書とともに里村を送り出す。
佐々一(ささ はじめ)
アストロズ選手、ジュニア・アストロズのコーチ、横浜工場営業部員。ポジションはスクラムハーフ。練習や戦術の分析では、佐倉のサポート役も担う。優しい性格の持ち主だが、不器用で気が弱いことが災いして、柴門が監督へ就任した直後までは里村の控えに甘んじていた。一時は君嶋へ退部届を提出するほどにまで自信を失っていたが、柴門の勧めでパスの精度を磨いたことによってレギュラーへ定着。アストロズの躍進に大きく貢献する。ちなみに、里村がサイクロンズへの移籍を決めたのは、佐々と入れ替わる格好で控えに回る可能性が出てきたことにもよる。
友部祐規(ともべ ゆうき)
アストロズ選手。ポジションは
プロップ。ジャッカルが得意で、野心的なプレーが持ち味。
岬洋(みさき ひろし)
アストロズ選手。ポジションは
フルバック
本波寛人(もとなみ ひろと)
アストロズ選手。バックスのリーダー格で、君嶋のGM就任時点ではベテランの域に達していた。
三笠陽介(みかさ ようすけ)
経理部次長→経営戦略室次長。君嶋に代わり、経営戦略室次長に異動した。
その他
津田三郎(つだ さぶろう)
日本モータース・サイクロンズ監督で、城南大学ラグビー部OB会の会長。「日本ラグビー界の重鎮」に数えられている指導者で、伝統を重んじながら、チームが勝つためにさまざまな改革を断行している。柴門を心の底から嫌っていて、伝統を踏みにじったことを理由に、城南大学ラグビー部の監督職から更迭させた。アストロズが柴門の監督就任を境にライバルとして台頭してきたことから、アストロズの弱体化を図るべく、チームの精神的支柱でもある里村の引き抜きを画策する。
鍵原誠(かぎはら まこと)
日本モータース・サイクロンズGM。城南大学ラグビー部OB。選手としては大成しなかったが、ラグビー業界の情報に詳しく、GMとしても一流の実績を誇る。それだけに、ラグビーの門外漢ながら日本蹴球協会の改革を仕掛ける君嶋と、彼の下で急速に力を伸ばしているアストロズを疎ましく思っている。津田からは全幅の信頼を置かれていて、里村を引き抜いた。
富野賢作(とみの けんさく)
日本モータース・サイクロンズ選手。ポジションはスタンドオフ。
前田利晴(まえだ としはる)
前トキワ自動車・アストロズ監督。成績低迷と体調悪化により、監督を退任した。
橋本冬樹(はしもと ふゆき)
城南大学ラグビー部監督。城南大学ラグビー部OB。選手時代のポジションはフォワード。昨年まで所属していた「サイクロンズ」の監督である津田の指名により、柴門に代わり、城南大学ラグビー部監督に就任。
竹原正光(たけはら まさみつ)
前GMの吉原が選んだアストロズの次期監督候補。55歳。「ミツワ電機ファイターズ」の戦略コーチ時代に優勝を果たす。その後、低迷する東西大学の監督を務め、対抗戦リーグ上位へと引き上げた。また、2部リーグ「東協電気ベアーズ」で8年間監督を務め、シーズン最高成績は4位。君嶋は監督に適切でないと判断した。
高本遥(たかもと はるか)
前GMの吉原が選んだアストロズの次期監督候補。選手時代は、「浜松電気工業ブルズ」に所属し、ポジションはスクラムハーフ。引退後、オーストラリアでコーチングを学び、帰国。君嶋は監督に適切でないと判断した。
羽衣親方(はごろもおやかた)
錦糸町駅が最寄りの大相撲羽衣部屋の親方。柴門の依頼で、3日間にわたってアストロズの選手全員の入門を実現させる。君嶋は稽古に同行した。
片桐努(かたぎり つとむ)
日本蹴球協会のプラチナリーグ担当部長。
富永重信(とみなが しげのぶ)
日本蹴球協会会長。ラグビーがプロスポーツではなくアマチュアであることを神聖視し、収益性を求めることを悪と考える。伝統とアマチュアリズムを建前に、イエスマンを協会の内部に数多く抱えながら、自身の意向に反する提案をことごとく排除することで権威を誇ってきた。しかし、君嶋などが専務理事の木戸を通じて提出したプラチナリーグの改革案が定例会議で可決されたことによって、様相が一変。木戸が提出した会長の解任案も可決されたため、会長職を解かれた。
木戸祥助(きど しょうすけ)
日本蹴球協会専務理事。プラチナリーグ改革の必要性を承知していながら、富永の前ではイエスマンを装わずにいられなかった。君嶋が単独で相次いで持ち掛けた改革案も、アマチュアリズム遵守の建前から、表向きには受け入れない姿勢を示していた。しかし、内心では改革の方向性に賛同していた。君嶋と(サイクロンズを除く)他のリーグ加盟チームのGMが連名で改革案を提出したことをきっかけに、富永が出席する定例会議で本格的に審議。富永の会長解任も提案したところ、いずれも同席した理事たちの賛同を得た。アストロズ強化費の削減をめぐるトキワ自動車の取締役会で、日本蹴球協会の改革に向けた動きを君嶋が証明できたのは、同じ時間帯に開かれていた定例会議の結果を富永が君嶋へ知らせたことによる。
風間有也(かざま ゆうや)
カザマ商事の第3代社長。実父も同社の社長を務めていたことを背景に、明成学園小学校から明成学園大学まで
エスカレーター方式で卒業。脇坂とは高校、滝川とは大学の同級生に当たる。大学からの卒業後は、財閥系の商社を経て、祖父が創業し、実父が社長を務めていたカザマ商事に27歳で入社。35歳で取締役を務めたが、実父の急逝によって、40歳にして社長に就任する。カザマ商事をトキワ自動車へ売却できた暁には、社長を滝川に譲って隠居することを考えていた。
森下章市(もりした しょういち)
横浜工科大学教授で、星野の大学院生時代の指導教官。横浜マリンカントリーのゴルフ場建設反対運動の旗振り役を務めていた。白水商船のタンカー座礁事故をめぐって、星野が在籍するトキワ自動車の研究所と共同で、カザマ商事製のバンカーオイルを検証していた。やがて、依頼元のカザマ商事から、検証データの偽装と引き換えに3億円を受領し、建設反対運動から退くことを決めた。
苗場章雄(なえば あきお)
横浜マリンカントリーの環境破壊を訴える会代表。横浜市内のバイクショップのオーナーで、兼業農家として、建設中のゴルフ場・横浜マリンカントリーの近くに果樹園を持つことから、ゴルフ場建設に反対し、横浜工場に押し寄せる。同会の抗議に君嶋が耳を傾けたことがきっかけで、君嶋と交流するようになった。森下がゴルフ場建設反対運動から退いたことを君嶋に打ち明けたことがきっかけで、君嶋は森下の身辺を調査。森下が反対運動から遠ざかるようになった理由を突き止める。
青野宏(あおの ひろし)
横浜マリンカントリーの責任者、カザマ商事社長室長代理兼務→トキワ自動車子会社の製造管理担当。帝都大学ラグビー部OB。カザマ商事によるバンカーオイル検証データの偽装をめぐって、風間から森下に3億円を渡すよう依頼。その際に森下から、署名捺印入りの受領証を受け取っていた。ゴルフ場建設反対運動への対応をめぐって相談を持ち掛けられたことをきっかけに、君嶋と意気投合。アストロズのレギュラーを決める部内マッチへ招待された際に、カザマ商事による偽装工作の真相を明らかにすることを君嶋から勧められたため、森下の受領証の原本を君嶋に渡した。この原本を君嶋がトキワ自動車の取締役会で示したことが決め手になって、滝川によるカザマ商事の買収計画は白紙に戻された。
多むら」の女将
居酒屋「多むら」の女将。かつてアストロズの栄養士だった縁で、店をアストロズの飲み会に快く貸し出すとともに、アストロズの選手を折に触れて?咤している。
峰岸飛呂彦(みねぎし ひろひこ)
M&A仲介会社「東京キャピタル」社長。カザマ商事買収にあたり、トキワ自動車側の代理人を受ける。脇坂が風間にバンカーオイルの隠蔽工作と価格引き下げによる再売却を提案したことを、君嶋に知らせる。
野本広大(のもと こうだい)
与党の有力政治家。富永と関係があったが、富永の会長の解任案に賛成した。
書籍情報

単行本:
ダイヤモンド社、2019年6月11日、ISBN 978-4-478-10837-6

文庫:講談社文庫、2022年11月15日、ISBN 978-4-06-529910-4

テレビドラマ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:111 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef