ノルウェー
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沿岸は漁業が盛んであり日本アイスランドと並ぶ数少ない捕鯨国の一つでもある[6]

人口は500万人ほどで約9割がキリスト教徒でルター福音派が大部分を占める。公用語はノルウェー語だが、ブークモールニーノシュクという成立事情を異にする二つの書きことばが共存している。住民には金髪碧眼・長身の所謂「北方人種」が多い[15]
国名

正式名称はノルウェー語ブークモール (bokmal) では Kongeriket  Norge、ニーノシュク (nynorsk) では Kongeriket  Noreg、サーミ語ではNorga / Norgga gonagasriika。英語による表記は Kingdom of Norway。通称 Norway。形容詞はNorwegian。日本語による表記はノルウェー王国。通称はノルウェー。ノルウェイとも。古くはノールウヱーと表記された[16]漢字による表記は諾威で、諾と略される。
歴史詳細は「ノルウェーの歴史」を参照

考古学上の発見が示すところによると、ノルウェーには約12,000年前には人が住んでいた。彼らはおそらくもっと南の地域、ドイツ北部からやってきて、海岸線に沿ってさらに北上したと考えられている。

9世紀から11世紀までのヴァイキング時代が国家形成の統一運動および拡大の元となった。1130年から1240年までは王位継承権をめぐる内戦が起こった(ノルウェー内戦)。黒死病などによりノルウェー王家1387年に途絶えデンマーク配下となり、1450年より条約により従属化され、1536年には正式に独立を失った(デンマーク=ノルウェー)。デンマークがナポレオン1世側についたあとの1814年スウェーデンに引き渡された。ノルウェー人はこのとき独立を図ったが、列強の反対により実現できず、スウェーデン王国との同君連合スウェーデン=ノルウェー)が形成され、スウェーデン王カール13世がノルウェー王に即位した。1818年にカール13世が死去すると、スウェーデン=ノルウェーはベルナドッテ王朝の支配下となった。

1750年ごろから第一次世界大戦ロシア革命が起こった1920年までは、ノルウェー北部とロシアのアルハンゲリスクの間でポモール貿易(英語版)と呼ばれる海上貿易が盛んに行われた。ノルウェーで捕れる魚とロシアの穀物を取引し、どちらの社会においても重要度が高かった。

20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。

ノルウェーは第一次世界大戦では中立国だったが、第二次世界大戦ではナチス・ドイツによる侵略を受け、非同盟政策に疑問を抱くようになり、集団安全保障国家となった。また、1945年7月6日には対日宣戦布告するが、ついに戦火を交えることはなかった。ノルウェーは国際連合設立メンバーであり、また北大西洋条約機構(NATO)原加盟国として、1949年北大西洋条約に調印した。ノルウェーでは1972年1994年の2度欧州連合への加盟に関する投票が行われたが2度とも否決され、現在も欧州自由貿易連合(EFTA)の成員に留まっている。
政治ハーラル5世国王ガール・ストーレ首相ストーティング(ノルウェー議会議事堂)詳細は「ノルウェーの政治」を参照

ノルウェーの政体議院内閣制議会制度を政治の中心とし、儀礼的な存在として王室を有する立憲君主制である。

政治体制は議院内閣制である。議会であるストーティングの議員のうち4分の1が第1院のラグティング(英語版)、それ以外が第2院オデルスティング(英語版)を構成するという変則的な二院制を長らく取っていたが、2009年から一院制に移行した。内閣首相と閣僚16人から構成される[7]
国王

国王は憲法上行政権を有するとされているが、実際にこれを行使することはなく、その権限は首相が握っている。大臣の副署がない国王の行為はすべて無効となる[17]。国王の実際的な役割はおもに儀式や式典などに限られているが、国の象徴として国民意識の統一に重要な役割を果たしている。憲法上、国王の地位について次のような規定が置かれている。

憲法第3条「行政権は、国王、又は、この憲法の第6条、第7条若しくは第48条の規定に従い女子が王位を継承した場合には、女王に属する。行政権が女王に属するときは、女王は、国の憲法及び法律において、国王が有する全ての権利及び義務を有する。」[17]

憲法第5条「国王の身体は、神聖であり、国王は、処罰されることなく、また訴追されることもない。責任は、国王の内閣がこれを負う。」[17]

憲法第12条「国王は、選挙権を有するノルウェー国民の中から内閣を選任する。内閣は1人の総理大臣と少なくとも7人のその他の閣僚で組織する。 」[17]

憲法第25条「国王は、王国の陸海軍の総司令官である。陸軍及び海軍は、議会の承認がなければ、これを増員することも減員することもできない。陸海軍は、外国の役務に用いることはできず、また外国の役務に従事する軍隊は、敵襲に対する援兵を除くの外、議会の承認なくして王国内に入れることはできない。 」[17]

憲法第31条「国王の行うすべての決定は、有効となるためには、副署されなければならない。軍隊指揮に関する決定は、報告を提出する者がこれに副署する。その他の決定は、内閣総理大臣が、総理大臣が出席しなかったときは出席者中の第一閣僚が、これに副署する。」[17]

行政詳細は「ノルウェーの首相」を参照

スウェーデン=ノルウェー連合王国時代の1814年の法律で、「国王は、議会または首相を含む内閣を任命する」という重要な執行権が与えられたが、ほとんどの場合は議会が国王の名のもとに行使している。1884年には議院内閣制が成立し、内閣の発足には議会の承認が必要となった。これにより、国王による任命は事実上形式だけのものとなった。「ノルウェー政府 (2013年?)(ノルウェー語版)」も参照
立法詳細は「ストーティング」を参照

ノルウェー議会(ストーティング)は一院制で169名の議員からなる。2007年の憲法改正以前には、単一の選挙で選出された議員たちがウーデルスティング(下院127名)とラーグティング(上院42名)に分かれ、憲法改正等を除いては二院制として機能する変則的な体制であった。解散はなく、総選挙は4年に1度行われる。19の県を単位とする比例代表制選挙で150議席が選ばれたのち、19議席が得票率と獲得議席との乖離を調整するために配分される。選挙権はその年に満18歳以上となる者に与えられている。

なお、ノーベル平和賞の受賞者を決定するノルウェー・ノーベル委員会の委員はノルウェー議会によって選出される。
憲法詳細は「ノルウェー憲法」を参照 1814年、アイツヴォルの集り(英語版)5月17日憲法記念日のパレードで、ノルウェーの国旗を持って行進するボーイスカウトたち


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