正式名称はノルウェー語のブークモール (bokmal) では Kongeriket Norge
、ニーノシュク (nynorsk) では Kongeriket Noreg、サーミ語ではNorga / Norgga gonagasriika。英語による表記は Kingdom of Norway。通称 Norway。形容詞はNorwegian。日本語による表記はノルウェー王国。通称はノルウェー。ノルウェイとも。古くはノールウヱーと表記された[16]。漢字による表記は諾威で、諾と略される。考古学上の発見が示すところによると、ノルウェーには約12,000年前には人が住んでいた。彼らはおそらくもっと南の地域、ドイツ北部からやってきて、海岸線に沿ってさらに北上したと考えられている。
9世紀から11世紀までのヴァイキング時代が国家形成の統一運動および拡大の元となった。1130年から1240年までは王位継承権をめぐる内戦が起こった(ノルウェー内戦)。黒死病などによりノルウェー王家が1387年に途絶えデンマーク配下となり、1450年より条約により従属化され、1536年には正式に独立を失った(デンマーク=ノルウェー)。デンマークがナポレオン1世側についたあとの1814年にスウェーデンに引き渡された。ノルウェー人はこのとき独立を図ったが、列強の反対により実現できず、スウェーデン王国との同君連合(スウェーデン=ノルウェー)が形成され、スウェーデン王カール13世がノルウェー王に即位した。1818年にカール13世が死去すると、スウェーデン=ノルウェーはベルナドッテ王朝の支配下となった。
1750年ごろから第一次世界大戦とロシア革命が起こった1920年までは、ノルウェー北部とロシアのアルハンゲリスクの間でポモール貿易(英語版)と呼ばれる海上貿易が盛んに行われた。ノルウェーで捕れる魚とロシアの穀物を取引し、どちらの社会においても重要度が高かった。
20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。
ノルウェーは第一次世界大戦では中立国だったが、第二次世界大戦ではナチス・ドイツによる侵略を受け、非同盟政策に疑問を抱くようになり、集団安全保障国家となった。また、1945年7月6日には対日宣戦布告するが、ついに戦火を交えることはなかった。ノルウェーは国際連合設立メンバーであり、また北大西洋条約機構(NATO)原加盟国として、1949年に北大西洋条約に調印した。ノルウェーでは1972年と1994年の2度欧州連合への加盟に関する投票が行われたが2度とも否決され、現在も欧州自由貿易連合(EFTA)の成員に留まっている。
政治ハーラル5世国王ガール・ストーレ首相ストーティング(ノルウェー議会議事堂)詳細は「ノルウェーの政治」を参照
ノルウェーの政体は議院内閣制の議会制度を政治の中心とし、儀礼的な存在として王室を有する立憲君主制である。