ノルウェー
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古くからノルマン人が居住し、10世紀初めに統一王国が成立[6]14世紀からデンマーク同君連合を形成してデンマークの統治下に置かれた。ナポレオン戦争でのデンマークの敗戦で1814年に放棄されスウェーデンの下で同君連合を形成したが、自由主義的な憲法の制定と連合法により自治権を得た。1905年の国民投票によりスウェーデンから独立し、デンマークから王子を国王(ホーコン7世)に迎え独立した立憲君主国としてスタートした[7]

ノルディックモデルによる高負担高福祉の福祉国家として知られ[8]国連開発計画(UNDP)による国民の健康と繁栄を示す人間開発指数(HDI)は世界1位である(2020年度)[9]。国連持続可能開発ソリューションネットワークによる世界幸福度報告は世界5位である(2020年度)[10]民主主義の成熟性も極めて高く評価されており、エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界1位を記録しており「完全な民主主義」に分類されている(2022年度)[11]国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも世界1位に輝いている(2020年度)[12]国連開発計画(UNDP)による国民の健康と繁栄を示す人間開発指数(HDI)は世界一位である(2020年度)[9]。経済平和研究所によるポジティブ平和指数(PPI)は世界一位である(2023年度)[13]

経済面では1人当たりの国内総生産(GDP)は、ルクセンブルクスイスアイスランドに続く世界第4位である(2019年度。国際通貨基金(IMF)による調べ)[14]。独立前の19世紀には農業国だったが[7]20世紀になると豊富で安価な水力や天然資源を生かして工業化が進み、第二次世界大戦後は特に電気冶金、機械、造船などの分野で工業化が顕著となる[15][7]。石炭、鉄、銅、ニッケルなど鉱物資源が豊富である[6]1970年代から北海油田による石油産業が発展して輸出の主品目となっている[6]。沿岸は漁業が盛んであり日本アイスランドと並ぶ数少ない捕鯨国の一つでもある[6]

人口は500万人ほどで約9割がキリスト教徒でルター福音派が大部分を占める。公用語はノルウェー語だが、ブークモールニーノシュクという成立事情を異にする二つの書きことばが共存している。住民には金髪碧眼・長身の所謂「北方人種」が多い[15]
国名

正式名称はノルウェー語ブークモール (bokmal) では Kongeriket  Norge、ニーノシュク (nynorsk) では Kongeriket  Noreg、サーミ語ではNorga / Norgga gonagasriika。英語による表記は Kingdom of Norway。通称 Norway。形容詞はNorwegian。日本語による表記はノルウェー王国。通称はノルウェー。ノルウェイとも。古くはノールウヱーと表記された[16]漢字による表記は諾威で、諾と略される。
歴史詳細は「ノルウェーの歴史」を参照

考古学上の発見が示すところによると、ノルウェーには約12,000年前には人が住んでいた。彼らはおそらくもっと南の地域、ドイツ北部からやってきて、海岸線に沿ってさらに北上したと考えられている。

9世紀から11世紀までのヴァイキング時代が国家形成の統一運動および拡大の元となった。1130年から1240年までは王位継承権をめぐる内戦が起こった(ノルウェー内戦)。黒死病などによりノルウェー王家1387年に途絶えデンマーク配下となり、1450年より条約により従属化され、1536年には正式に独立を失った(デンマーク=ノルウェー)。デンマークがナポレオン1世側についたあとの1814年スウェーデンに引き渡された。ノルウェー人はこのとき独立を図ったが、列強の反対により実現できず、スウェーデン王国との同君連合スウェーデン=ノルウェー)が形成され、スウェーデン王カール13世がノルウェー王に即位した。1818年にカール13世が死去すると、スウェーデン=ノルウェーはベルナドッテ王朝の支配下となった。

1750年ごろから第一次世界大戦ロシア革命が起こった1920年までは、ノルウェー北部とロシアのアルハンゲリスクの間でポモール貿易(英語版)と呼ばれる海上貿易が盛んに行われた。ノルウェーで捕れる魚とロシアの穀物を取引し、どちらの社会においても重要度が高かった。

20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。

ノルウェーは第一次世界大戦では中立国だったが、第二次世界大戦ではドイツによる侵略を受け、非同盟政策に疑問を抱くようになり、集団安全保障国家となった。また、1945年7月6日には対日宣戦布告するが、ついに戦火を交えることはなかった。ノルウェーは国際連合設立メンバーであり、また北大西洋条約機構(NATO)原加盟国として、1949年北大西洋条約に調印した。ノルウェーでは1972年1994年の2度欧州連合への加盟に関する投票が行われたが2度とも否決され、現在も欧州自由貿易連合(EFTA)の成員に留まっている。
政治ハーラル5世国王ガール・ストーレ首相ストーティング(ノルウェー議会議事堂)詳細は「ノルウェーの政治」を参照

ノルウェーの政体議院内閣制議会制度を政治の中心とし、儀礼的な存在として王室を有する立憲君主制である。


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