ノルウェー語
[Wikipedia|▼Menu]
1814年にデンマークから独立すると、ノルウェーは「すべての法律はノルウェー語により施行される」と明記した独自の憲法を制定したが、この時点では書記言語としてのノルウェー語は育っておらず、デンマーク側は異議を唱えていた[3]

1830年以降は書記言語としてのノルウェー語を確立するべく、2つの試みがされはじめた[4]。1つは、デンマーク語にノルウェー特有の語彙や構文論を織り交ぜてノルウェー独自の書記言語を作り上げる試みで、ヘンリク・ヴェルゲランが中心となった[4]。もう1つは保守的なノルウェーの方言を下敷きにして新しく書記言語の規範を確立するべきという歴史家ペーテル・アンドレアス・ムンク(英語版)の考えを実現しようとしたイーヴァル・オーセンの試みである[5]

前者はリクスモール (Riksmal)、後者はランスモール (Landsmal)と呼ばれ、それぞれ今日ブークモール (bokmal) 、ニーノシュク (nynorsk)と呼ばれている[6]。これらの言語形態は1885年に同等に扱うよう正式に定められ、1929年以降に名称変更された[6]

1905年の独立後、1906年にランスモールを扱う機関としてノルウェー・モールラーグが、1907年にリクスモールを扱う機関としてリクスモール協会が設立された[7]。1907年はまた、クヌート・クヌーツェン(英語版)が唱える教養人の話し言葉に近づけようとリクスモールの正書法改革が行われ、1917年にはお互いの言語形態の接近を図った正書法改革が行われ、1938年の正書法改革ではお互いの言語形態は更に近しくなった[8]

こうした2つの言語形態を1つにまとめようとする動き(サムノシュク(ノルウェー語版))には批判もあり、第二次世界大戦後の1951年にはサムノシュクに反対する両親活動組織が立ち上げられている[9]。1951年に国会で設立が可決され、翌年に活動を開始したノルウェー言語委員会(ノルウェー語版)では、ブークモール陣営とニーノシュク陣営の委員各15人が言語政策の課題に取り組み、その取り組みは1959年に両言語形態それぞれに定められた新教科書規範という形で結実した[10]

ノルウェー言語委員会は1972年にノルウェー言語諮問委員会に取って代わられ、ブークモール陣営とニーノシュク陣営の委員各21人に加えて言語に関連する組織の代表者も参加できるようになった[10]。ここで提唱されたブークモールの新正書法が1981年に国会で承認されるなどの活動を経て、2005年に言語諮問委員会と名称変更された[10]
ブークモールとニーノシュク各自治体におけるブークモール/ニーノシュクの採用状況

長年にわたってデンマークの支配を受けたノルウェーの言葉は、数百年間はデンマーク語に近かったが、19世紀に至ると民族意識の高揚とともに違いが大きくなり、独立の言語としての意識が高まった。

こうした歴史的背景から、ノルウェー語にはブークモール (bokmal 「書籍語」) 、ニーノシュク (nynorsk「新ノルウェー語」) の2種があり、双方がノルウェーの公用語になっている。ブークモールはデンマーク語とあまり変わらない穏健派、ニーノシュクはデンマーク語の影響を受ける前の「本来の」ノルウェー語を取り戻そうという急進派である。公文書や放送では双方が使われ、また政府機関は双方を等しく受け入れなければならない。しかし民間での出版では 98% がブークモール、ニーノシュクは 2%である。

どちらも書記言語として規範的な正書法が定められてはいるが、他方に近い正書法が認められることも多く、厳密に区別することは簡単ではない[11]。口語としては、ブークモールは標準東ノルウェー語(英語版)の発音がある程度規範的発音とされているが、ニーノシュクの規範的発音は確立されていない[6]
文字

ラテンアルファベット26文字に加え、aoaの3文字が使われている。

ノルウェー語アルファベット
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZAOA


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef