5月10日、西部戦線でドイツ軍のフランス侵攻が始まり、フランスにおいても連合軍の劣勢が続き、6月5日にイギリス軍のダンケルク脱出(ダイナモ作戦)でベルギーに進出した英仏軍は、重装備を放棄してイギリス本土に撤退した。5月24日に、イギリスの戦時内閣はノルウェーからの撤退を決定した。撤退作戦であるアルファベット作戦が開始され、海路により、連合軍はナルヴィクを6月7日に撤退した。 ノルウェー侵攻を行うのはニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将指揮下のXXI軍団で、以下の部隊から構成されていた。 最初の侵攻部隊は海軍艦艇で運ばれた。参加した主な艦船は次の通りである。
参加兵力
XXI軍団 指揮官:ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将
第163歩兵師団
第69歩兵師団
第196歩兵師団
第181歩兵師団
第214歩兵師団
第3山岳兵師団
グループ1(目的地ナルヴィク)
駆逐艦:ヴィルヘルム・ハイドカンプ、ゲオルク・ティーレ、ヴォルフガング・ツェンカー、ベルント・フォン・アルニム、エーリッヒ・ギーゼ
駆逐艦:エーリッヒ・ケルナー、ディーター・フォン・レーダー、ハンス・リューデマン、ヘルマン・キュンネ、アントン・シュミット
支援部隊
戦艦:シャルンホルスト、グナイゼナウ
グループ2(目的地トロンハイム)
重巡洋艦:アドミラル・ヒッパー
駆逐艦:パウル・ヤコビ、テオドール・リーデル
グループ3(目的地ベルゲン)
軽巡洋艦:ケルン、ケーニヒスベルク
砲術練習艦:ブレムゼ
水雷艇:レオパルト、ヴォルフ
Sボート母艦:カール・ペーターズ
ノルウェー政府は、ドイツ側と休戦し中立化する道も探ったが交渉は成立しなかった。1940年6月9日、ホーコン7世は全ノルウェー軍に対してドイツに対して降伏する旨の宣言を発出[2]。王太子オーラヴはじめ王室、ニューゴースヴォル首相率いるノルウェー政府要人らとともにイギリス海軍艦艇によりイギリスへ亡命した。一部の国軍兵士もイギリスへ脱出したが、国軍総司令官のオットー・ルーゲ少将は、6月10日にドイツ側に降伏した。
オスロには、ファシズム政党・国民連合のヴィドクン・クヴィスリングの政権掌握を宣言したが、実質的な支配権はドイツ側が握っていた。
また、この戦いでドイツ海軍は重巡ブリュッヒャー・軽巡ケーニヒスベルク・カールスルーエや駆逐艦10隻などを失う大損害を受け、また残存艦も戦艦シャルンホルスト・グナイゼナウ、装甲艦リュッツォウ(旧名ドイッチュラント)以下多くが損傷して戦列を離れ、ただでさえ不均衡であった海上戦力はよりイギリス優位に傾いた(この不均衡は、アシカ作戦にも影響を与えた)。