ノルウェーの国旗
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RGBにおけるおおよその値は、#BA0C2F[6](赤)、 #00205B[7](青)である。
旗に関する文化
国旗掲揚および国旗降納時の音楽

式典などでノルウェー国旗を掲揚する際は、Bugle callファンファーレ、またはノルウェーの国歌(我らこの国を愛す)を演奏する。民間の式典で使用する場合のルールは特に決められていない。ノルウェー軍は、国旗を掲揚または降納する際はBugle callを使用するように統一されている。これは、『flaggappell』として知られている[8](参考:Bugle calls of the Norwegian Army)。
国旗掲揚および国旗降納時の規範

一般的な国旗の取り扱いだけでなく、ノルウェーの法では、他の主権国家の旗もノルウェー国旗と同じく敬意をもって扱うことを規定している。

一般市民や非制服の公務員については、国旗を取り扱う際に行わなければならない正式な手振りは存在しない。しかし、一般的には、国旗の掲揚・降納時において、一般市民も旗に向って起立し静粛にして、敬意を持った態度で臨むべきであるとされる。男性の場合は、帽子を取るべきでるともされる[注釈 3]

制服を着た政府の全職員[注釈 4]については、国旗掲揚・降納時は、ノルウェー軍と同じ規範に基づいた行動をとる。その規範には、国旗の掲揚・降納を見る、もしくはBugle callを聞く際は、可能ならば現在の作業を一時中断し、職員は旗柱に正対しなければならない。

もし、軍人が編隊中におらず、制服の帽子をかぶっている場合、必ず敬礼をしなければならない。もし編隊中にいるか、所定の制服の帽子をかぶっていないのであれば、ラッパの音が鳴り続けている間注意を向けて立つか、もし国旗の掲揚・降納が見えるのであれば、旗が旗柱の上に登りきるか、中央にあるか、もしくは旗の2/3がフラッグ・パーティーの手に収まるまで見なければならない。
旗の畳み方

旗の折り畳みの英米系の風習[注釈 5]とは異なり、ノルウェーの風習では旗は降納後、丸めて円筒型にして止める。

このように丸める際は、2つの長辺を合わせるように縦長に畳む。次に縦の白と青のストライプを隠すように180度に折って半分に畳む。最終的に折りたたまれた旗は、幅が1/4になり、赤い筒状に円筒型に巻き上げる。

もし旗に縄が取り付けられている場合、それを旗に巻き付け単純な引き結びで止める。この単純な引き結びの使用は、1人で旗を掲げるときに許されている。
任務における旗

国際的な任務において、ノルウェー軍は、自身の存在を主張し士気を高めるため、ノルウェー国旗[注釈 6]を夜中であってもスポットライトを当てて、掲げ続ける。

この文化は第二次世界大戦において、イギリス、アメリカ合衆国、スウェーデンカナダにおける多くのノルウェー軍の基地で、小さなサイズの旗を掲げたことに由来する。これは、最後に勝利を得るまで昼夜問わず敵と戦うことを象徴するために行われた。
旗の不敬

軍の規則は、ノルウェーの旗を地面に触れさせてはならないということが明記されている。この禁止規則は、この行為が旗に対する不敬であり、降伏を示すことでもあるために定められている。

もし、この厳格なルールが破られている場合、部隊の指揮官は旗が侮辱されているかどうかを判断しなければならない。もし、指揮官が侮辱されていると判断した場合、彼は旗をいくつかの部分に分割しなければならない[注釈 7]。さらにその分割したものを、次に旗を掲揚する前に練兵場で燃やさなければならない。
象徴的意義

フレドリック・メルツァー(英語版)は、自身の国旗案を1821年5月4日に議会で他の数多くの国旗案とともに展示するために提出した。この後の2週間の内に、メルツァーの国旗案は、ノルウェー両院で賛成を受けた。メルツァー自身は、このデザインと色についての説明を書き残してはいない。しかしながら、メルツァーは議会に提出する前の4月30日に書かれた手紙の中で書かれた国旗委員会からの提案に関するコメントの中で、彼の意図を暗示している。このデザインは、赤と白の4つに分かれていた。メルツァーはこの色遣いに反対した。それは、その色遣いがデンマークの国旗に類似しすぎているためであった。彼は、"他の国と共にあったり、関係があるような"のいずれ国の色を選ぶことも同様にふさわしくないと付け加えた。その代わりに、彼は赤、白、青の三色旗を推奨した。「三色は今、かつてのフランスの三色旗[注釈 8]や、今でも使用されているドイツの旗[注釈 9]アメリカの旗、そしてイギリスのユニオンフラッグのように、自由を象徴する。[9]

メルツァーが数日後に下した、スカンディナヴィア十字を用いるという最終的な選択は、他の北欧諸国(デンマークスウェーデン)によって確立された伝統を基にしていた。この十字は、キリスト教と表しているとされる[10][11]。この赤と青の色遣いは、新旧の連合王国を組んでいた2か国のものをはっきりと参照していた。これは、これらの色を示した、地元の国旗の会議に参加した全員、新聞紙上、議会ではっきりと理解されていた。当時使われていた、数世紀にわたるデンマークとの連合や国旗を経験した人々の間では、赤い旗に多くの支持者が多くいた。他方、デンマークを圧制者としてみる人々の間では、新しく連合を組むスウェーデン王家と関係のある青色が好意的に受け入れられた[12]。この結果、提案された他の多くの旗は、提案した人々の政治的な姿勢を反映するように、赤か青が支配的な色となっていた[13]
歴史的な旗

?過去のノルウェー王国で使用された旗、ノルウェーの獅子が描かれている

?カルマル同盟の旗 (1397-1523)

?デンマーク=ノルウェーの旗 (1814年まで)

?デンマーク=ノルウェーの軍用旗(1814年まで)

?デンマーク=ノルウェー軍艦旗(1814年まで)

?ノルウェー旗 (1814-1821). フィニステレ岬以北でのみノルウェー船舶が使用

?ノルウェー旗 (別の仕様、1814-1821). フィニステレ岬以北でのみノルウェー船舶が使用

?ノルウェー旗 (別の仕様、1814-1821). フィニステレ岬以北でのみノルウェー船舶が使用

?ノルウェー軍用旗 (1814-1821)

?フィニステレ岬以南でノルウェー船舶が使用 (1815-1818)、1821年までは任意で使用可能だった

?フィニステレ岬以南でノルウェー船舶が使用 (1818-1844)。1821年よりスウェーデン船舶も、フィニステレ岬以南で使用する

?ノルウェーの旗 (1821-1844). 1838年まではフィニステレ岬以北でのみ、ノルウェー船舶が使用

?ノルウェーの旗 (1844-1899)


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