ノビリアリー・パーティクル
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しかし、ポルトガルの貴族は、通常は前置詞は先頭に一つだけ使用し、苗字の最後の単語の前にe(英語のandに相当)を付けて前置詞を繰り返さないようにする。つまり、先ほどの例で言えば、Joao Duarte da Silva Santos Costa e Sousaと署名するのが伝統的でありまた品位のある署名とみなされている。この場合のeは、最初のdaを除く苗字に含まれる全ての前置詞を置き換えるものなので、前置詞なしで使用することはできない。この規則の例外は、eで結びつけられた重複した苗字でのみ現れる。たとえば、Diogo Afonso da Conceicao e Silva(名前と母親の重複した苗字)Tavares da Costa(父親の重複した苗字)などと言うように、母親の苗字が父親の苗字の前にある場合である。

19世紀以後、ポルトガルの貴族は称号を苗字として示すのが慣習となった。例としては、第11代カダヴァル女公である著述家Diana Mariana Vitoria Alvares Pereira de Melo はDiana de Cadaval(ディアナ・デ・カダヴァル)と称している。ただし、この社会的慣習は旧ポルトガル王室には適用されていない。
スペイン「en: Spanish nobility」および「en:Spanish naming customs」も参照

スペインでは、de(デ)が2つの異なる形式でノビリアリー・パーティクルとして使用されている。一つ目は、「父称 de 地名」式である[8]。例としては、15世紀の将軍のGonzalo Fernandez de Cordoba(ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ)、14世紀の年代記作家・詩人のPero Lopez de Ayala(ペロ・ロペス・デ・アヤラ)、欧州人として初めて太平洋に到達した探検家のVasco Nunez de Balboa(バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア)、その他多くのコンキスタドールなどが挙げられる[9]。もう一つは、苗字全体の前に不変化詞deを置く形式である。この形式はフランスのものとも似ているが、より曖昧である。というのも、特に貴族と関係しない単なる前置詞としてのdeと綴りの上で区別がないからである。例えば、De la Rua(デ・ラ・ルーア、「通りの」の意)やDe la Torre(デ・ラ・トーレ、「塔の」の意)などがそれにあたる。父称を含まないノビリアリー・パーティクルとしてのdeの例としては、16世紀の初代サンタ・クルス侯爵Alvaro de Bazan(アルバロ・デ・バサン)、コンキスタドールのHernando de Soto(エルナンド・デ・ソト)などが挙げられる。フランス語とは異なりスペイン語にはエリジオンがないため、苗字が母音から始まったとしても、一部の例外を除いて縮約はほとんど起こらない。例外としては、パナマシティを建設したPedro Arias Davila(ペドロ・アリアス・ダビラ)などがいる。その他の例外としては、deの後に定冠詞elがくる場合はdelに縮約される場合もある。例としては16世紀の詩人Baltasar del Alcazar(バルタザール・デル・アルカサル)などが挙げられる。

1958年から現在まで施行されているスペインの名前に関する法律では、苗字に新しくdeを追加することは基本的に認められていない。ただし、例外として、 苗字であるか名前であるか誤解を招きかねないような場合に限って新しくdeを苗字の前に追加することが認められている[10]紋章は何世紀にもわたって貴族身分によってのみ合法的に担われていたので、紋章記述と関連付けられているかどうかというのが名前から貴族であるかどうかを判断する決定的な証拠となる。

なお、ハイフン(-)でつながれた二つの名前で構成される苗字は、両方の家系に同等の重要性があるということを示すものであり、その家が貴族であることを示すものではない。たとえば、Suarez-Llanos(スアレス=リャノス)などという苗字があったとしてもその家が貴族であるとは限らない。
スイス「en: Swiss nobility」も参照

スイスでは、そのカントンの起源によってdeや vonが使われている。ロマンス諸語圏から成立したところではdeが、ドイツ語・アレマン語圏から成立したところではvonがそれぞれ使われている。
イギリス
イングランドおよびウェールズ「en:Peerage of England」、「en:Welsh peers and baronets」、および「en:English surname」も参照

中世において、ラテン語・フランス語由来のde(ド)や、同じ意味の英語であるof(オブ)は、イングランドやウェールズにおいてしばしば名前に使われていた。例としては、Simon de Montfort(シモン・ド・モンフォール)やRichard of Shrewsbury(リチャード・オブ・シュルーズベリー)などが挙げられる。ただし、deの使用に関してはしばしば誤解を受けるが、ほとんどの場合deが使われるのはラテン語やフランス語で書かれた文書上においてである。当時、英語に翻訳する際に、deはofに変換されることもあれば、省略されることもあり、英語でそのまま使用されることはめったになかった。 また、deとofのどちらも単に出身地を表すために使用されることも多く、特に貴族の名前に限ったことではなかった。そのため、イングランドとウェールズにおいてはどちらの語もそれ自体が貴族の称号であると見なされてはいなかったということも重要な点である。

しかし、本来は特に貴族であることを示すものではなかったにもかかわらず、deやofといった語が入る苗字は貴族と関連付けられて捉えられることもあった。例としては、1841年10月8日、Thomas Trafford(トマス・トラフォード)が初代トラフォード準男爵に叙せられた際、ヴィクトリア女王は次のような認可状を出している。「トマス・ジョセフ・トラフォード卿……彼は今後先祖の名を取り戻し、Traffordと名乗る代わりにDe Traffordと名乗り、その名が使われていくことになろう」Sir Thomas Joseph Trafford ... that he may henceforth resume the ancient patronymic of his family, by assuming and using the surname of De Trafford, instead of that of 'Trafford' and that such surname may be henceforth taken and used by his issue.[11]

この苗字の英語化はおそらく15世紀ごろに起こり、その家がどの地から起こったかを示すノルマン系の語deは、イングランドにおいて多くは失われることになった。このような先祖の苗字の回復というのは、19世紀英国におけるロマン主義的な流行であり、これがdeという語は貴族であることを示しているという誤解を助長することにもなった。

また、イングランドやウェールズにおいてもスペインと同様に、ハイフン(-)で二つの名前が結合した苗字も必ずしも貴族であることを示すとは限らない。 例としては、ウェールズの苗字であるRees-Jones(リース・ジョーンズ)は貴族の苗字ではない。また、すべての二重姓にハイフンが必要なわけでもない。例としては、建築家Henry Beech Mole(ヘンリー・ビーチ・モール)のBeech Moleは二重姓だがハイフンは入らない。

しかし、歴史的に英国においては、このような複合姓は血統や社会的地位を指し示していることが多かったのも事実であり、ハイフンで結ばれた苗字は貴族やジェントリと結びついていたことも確かである。その理由は、嫡流が途絶えた貴族の家名を残すためであった。そのような事態になった場合、その家系の最後の当主は遺言書を通してその家の"name and arms(名前と紋章)"を残された財産とともに親戚の女系の男子に譲り、譲られた側はその名を継ぐための国王の許可を申請する、という手順が取られた。なお、申請者の母がheraldic heiress(ヘラルディック・エアレス。紋章を継ぐべき男性がいない場合に将来男児に継承させることを見越して紋章を受け継ぐ女子のこと)である場合も同様に国王の認可を受けることができるが、これはあまり一般的ではなかった。

複合姓の例としては、第二次大戦時の英国首相Sir Winston Spencer-Churchill(サー・ウィンストン・スペンサー・チャーチル)が挙げられる。彼の苗字は二つの家系の子孫であることを示している。一つはSpencer(スペンサー)家であり、スペンサー伯爵などの爵位を受け継ぐ名門貴族である。もう一つはChurchill(チャーチル)家であり、スペイン継承戦争で活躍した将軍ジョン・チャーチルから始まる家系である。ジョン・チャーチルには成人した男児がなかったため、娘婿の実家であるスペンサー家がその家督を継いだが、ジョン・チャーチルの曾孫の代に国王の許可を得てSpencer-Churchillに改名している(なお、明文化された指定はなかったため、英雄ジョン・チャーチルを想起させるスペンサー・チャーチルをあえて家名としたが、通常は男系の家名の方が最後に配置されるので、この家名は例外的である)。

なお、名門貴族の場合、時には三つ以上の苗字が複合した姓になる場合もある。例としては、現在ロンドンデリー侯爵位を受け継ぐ家系はVane-Tempest-Stewart(ヴェイン・テンペスト・ステュワート)家という三重姓である。19世紀にバッキンガム・シャンドス公爵位を受け継いでいた家系はTemple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville(テンプル・ニュージェント・ブリッジス・シャンドス・グレンヴィル)家という五重姓であった。

しかしながら、現代の英国では、中流・下層階級の家族においても結婚の際に名前をハイフンでつなぐことが多くなったため、複合姓と貴族との相関関係は弱まりつつある。2017年の調査によると、18?34歳の人口統計上の新婚夫婦の11%が複合姓となっている[12]

現代、英国では大陸諸国とは異なりノビリアリー・パーティクルはほとんど使用されていない。それよりも一般的なのはterritorial designation(テリトリアル・デジグネイション、「領地の指定」の意)あり、こちらがほぼ同義として使用されている。
スコットランド「en:Scottish surname」も参照

スコットランドにおいては、厳密にはノビリアリー・パーティクルは存在しないが、of(オブ)の語がterritorial designation(テリトリアル・デジグネイション)として長く使われてきた。この用法では、例えば、Aeneas MacDonell of Glengarry(イニーアス・マクドネル・オブ・グレンガリー)などといったように、家の苗字に続いてofと地名が並ぶことになる。もし、苗字と地名が同一である場合は、ofの後に"that Ilk"(「その同類」の意)が続くこともある。例えば、 Iain Moncreiffe of that Ilk(イアン・モンクリーフ・オブ・ザット・イルク)などいうようになる。

テリトリアル・デジグネイションの承認は、スコットランドではロード・ライアン・キング・オブ・アームスによって管轄され、その者の生まれた、あるいは何らかの関係のある、一般的に町の一部を形成していない農村地域が付与される。ロード・ライアンは、テリトリアル・デジグネイションが認められるためには、「しっかりと証明された名前が付けられたかなりの領域の土地の所有権、つまり、「地所」、あるいは農場、または少なくとも5エーカー以上に及ぶ庭園を持った家の所有権(ownership of a substantial area of land to which a well-attested name attaches, that is to say, ownership of an 'estate', or farm or, at the very least, a house with policies extending to five acres or thereby)」が必要であるとしている[13]。この場合のテリトリアル・デジグネイションは、苗字の不可分な部分であると見なされ、それ自体が必ずしも歴史的な封建貴族であることを示すわけではないが、テリトリアル・デジグネイションは通常、先祖の身分にかかわらず下級貴族身分を与えるものとみなされるスコットランドにおける紋章(Scottish coat of arms)の許可とともに与えられるものと認識される。


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